応募作90

「追憶からの来訪者」

湯菜岸 時也

土曜日の晩、十三のラウンジで子供の頃、こんなTVドラマがあったのを思い出した。
 殺人事件に巻き込まれ記憶喪失になった主人公の青年が、唯一、覚えているオレンジの帽子を被った女を探して彷徨うのだが、その行く先々で殺人が起きて、謎が謎を呼ぶ展開になる。最後は真犯人が崖から身投げして、女の正体は明かされないまま唐突にドラマは終わってしまう。
 ひどく女が怖かったのを覚えているが、まあ大人になれば、子供の頃の恐怖など吸血鬼やミイラ男と同じでノスタルジーだ。
 そうやって昔を思い出しながら、カクテルを楽しんでいると、いつの間にか隣の席に、そっくりな女がいた。
 帽子を目深に被っているので顔がわからないが、血管が透けるような白い肌とクリムゾンの唇――記憶と寸分違わない。
 柑橘系の『スコーピオン』がアメーバみたいに女の喉へ流れていく。
 嫌な予感がした。危険な香りには鼻が利くほうだ。支払いを済ませて外へ出たら、さっきまで星空だったのに傾いた太陽に照らされて、街が茜色に染まっていた。 
 後ろを振り向くと店が消えて、見知らぬビルの屋上にいる。スマホを見たら金曜日だ。
 気づけば着ている服も違う。時間をジャンプした気分だ。時計が壊れてなけりゃ、ほぼ一週間分の記憶が消えた事になる。
 スマホを調べてみたら、ちゃんと出社しているのがうかがえる。でも覚えがない。
 まるで悪夢だ。弱気を噛み殺して、震える足で螺旋状の非常階段を降りていたら、踊り場で女が血まみれで死んでいた。だが別人だ。ルージュの色が違う。そう見抜いた瞬間、どこかの窓から女の悲鳴が聞こえた。
 だがマンションの部屋へ逃げるのはNGで、ドラマじゃ悪徳刑事が待っている。財布を調べたら持ち歩かない額の札とカードがあった。軍資金はある。ならやる事は一つだ。