応募作84

「貴腐銀杏」

榛原 正樹

 

 十月の台風が過ぎ去った日の翌日、私は彼氏と大阪城の西ノ丸庭園を散策していた。
「おまえさ、『貴腐銀杏』って知ってるか?」
 彼が出し抜けに聞いてきた。
「何それ? 貴腐葡萄やったら知ってるけど」
 私は、一度だけ飲んだことがある死ぬほど甘い白ワインを思い浮かべた。
「秋はイチョウの木にたわわに実がなるやろ。その枝が台風なんかで折れたりすると、地面まで落ちんと途中で引っ掛かって宙ぶらりんになることがあるんや。ほかの実はそのうち熟して全部地面に落ちてまうけど、その折れた枝になってる実だけは成長が止まっとるから、落ちんとそのまま冬を迎えるんや。すると、その実は寒風にさらされ天日に干されて、やがてシワシワの干し葡萄みたいになる。この銀杏の種が絶品なんや。その見た目と味と希少さから、貴腐銀杏と呼ばれとる」
「へぇー、それだけの偶然が重なって出来るってすごいね。奇跡みたいやん」
 急に好奇心が湧いた私は彼に提案した。
「ねぇ、それなら実がなったイチョウの枝がぶら下がってないか探してみいひん?」
 私は、昔は火薬庫だったという大きな石倉の裏手にあるイチョウの大木を指差した。
 ちょっとした宝探しみたいな高揚した気分で、そのイチョウの根元に回り込んだ私たちの目の前に、異様な物体が現れた。
 太い木の枝から、女の人が首を吊ってぶら下がっていた。
 開いた口からべろんと舌を出し、あごに深く食い込んだロープはほとんど見えない。ワインレッドのワンピースが濡れた血のように光っている。台風で大量の銀杏が地面に落ちていたが、その場の臭気はそのせいだけではなかった。隣で彼が少し震えた声で言った。
「うわぁ……こっ、これやったら貴腐銀杏やなくて、『貴腐人』やな……はは……」
「あほ。脳みそ腐ったんか」
 私は、やおら携帯電話を取りだした。

応募作83

「大阪凝視」

ふじたごうらこ

 

 本場のたこ焼きを食べたくて高速バスで六時間かけて大阪難波に行った。降車するとすで夕暮れだ。御堂筋を歩いていたら、後ろから来たバイクにバッグを持っていかれた。あのバッグの中に一泊分のホステル代とたこ焼き代が入っていたのに。帰りのバスチケットと身分証明書も。無事なのはポケット中のスマホだけ。
 私は被害届を出し南警察署から歩いて難波に戻った。楽しみがゼロになり、歩行者に八つ当たりをして呪いの言葉を吐いた。大阪なんか嫌い、大阪大嫌い。
 混雑している戎橋(えびすばし)の端っこでつぶやいていたら大勢の視線を感じた。人々が私を凝視している。いつのまにか喧騒が静寂になっている。上からも視線を感じ見上げると、グリコの看板のマラソン選手も私を見ている。広告ビルのレディババや、ハゲンナも仏頂面で私を見おろしている。やがて群衆から罵声が飛んできた。
「何が大阪大嫌いや。あんたどこのもんや」
「大阪バカにして歩くヤツは許さへんで」
 通行人全員が、観光客や外国人も含めて大阪弁で私を責める。ネオンに反射した目玉がぎらぎらと光る。私は後ずさりをしたが追い詰められた。道頓堀川に落ちそう。泳げないのに。
 私は「すみません」 と泣いた。
「大阪はひったくり被害が多いって本当ね……バス代を借りて今から帰るからどうぞ許して」
 突然電話が鳴った。誰かが乱暴に言った。
「出ろ」
 私はしゃくりあげながら「もひもひ……」 と言った。
「警察です。ひったくり犯を逮捕しました。もう一度署に来れますか? お金も戻りますよ」
 同時に喧騒が戻った。大勢の歩行者や観光客は誰も私を見ていない。呆然としていると上から声が飛んできた。グリコのマラソン選手が微笑んでいる。そして口を開いた。
「よかったな。お金が戻ったら、まず、たこ焼きを食べなさい」
 同時に選手は絵看板に戻った。私は南署に向かってダッシュを始めた。大阪大好き

応募作82

「擬宝珠(ぎぼし)」

榛原 正樹

 

「なぁ、大阪城の京橋側の内堀に、極楽橋ってのが架かっとるの知っとるか?」
「もちろん知っとるよ。観光客が必ず記念写真撮るところやんか」
「あの橋に擬宝珠がいくつも付いとるやろ」
「はぁ? ギボシってなんや?」
「橋の欄干の柱に玉葱坊主みたいな形の飾りを被しとるやろ。あれのことや」
「あぁ、あれをギボシって言うんか」
「でな、その擬宝珠の中に一個だけ、他と形が違うもんがあるんやて。そいつを首尾良く見つけて、手で撫でてやってから城内に入ると、何かが起こると言われとるんや」
「何が起こるんや?」
「それは分からん。その形が違う擬宝珠も、すぐ見つかる時もあればどうしても見つからん場合もあるらしい……」
 友人からそんな話を聞かされた僕は早速極楽橋に行ってみた。十個ある擬宝珠を丹念に見ていくと、ひとつだけ胴体のくびれ方が他と違うものがあった。僕は、これはしめたとそのくびれを丹念に擦り、下から撫で上げ、読めない刻印文字を指でなぞった。それから橋を渡り、天守閣への石段を数段登った。
 目の前に、派手な着物を着た小柄なおばちゃんが立っていた。紫式部みたいな格好をし、顔を紅潮させ、憤怒に満ちた形相で僕を睨んでいる。その右手には短刀がギラリと光っていた。
「この不埒な無礼者が! そこに直れ!」
 突然、小柄なおばちゃんが斬りかかってきた。突いてくるということは殺す気だ。焦ってよけた弾みで僕は転倒し、石垣になり損ねて放置してある巨石に頭をぶつけて気絶した。
 後日、同じ場所に行ってみたが、形の違う擬宝珠はどうしても見つからず、おばちゃんが立っていた場所には、「淀殿自刀の地」の石碑があった。どうやら僕は、淀殿の逆鱗の様な所を執拗に撫でてしまったらしい。
 知らんがな、おばちゃんの急所なんか……

応募作81

「シャッター付貸ガレージ」

赤い尻

 大阪南部には長屋式のシャッター付貸ガレージが多い。外壁はコンクリや波板トタンでいずれも重い灰色、やはり灰色のシャッター扉がずらりと並ぶ、細長いバラックだ。全体的に錆っぽく、古い工場のようにも見える。片流れの屋根が工場を想起させるのだろうか。
 あるとき人気の少ない通りを歩いていると、唐突に間近で大きな物音がした。バシャ、バシャ、とひどく耳触りだ。音をたどると、すぐそばにある貸ガレージの一番手前のシャッター扉が音と連動してぶるぶる揺れている。そこはガレージが対面して二棟並んでおり、「月極」「空あります」等の看板の他は何も無い、殺風景な敷地だった。ふとP事件が脳裡をよぎる。ミナミの飲食店で拉致された女性は大阪南部のガレージに監禁されていたのではなかったか。犯人が立ち去った後、被害女性はシャッター扉を叩いて近隣の人に助けを求めたのでは。不吉な連想に緊張して立ち止まると、
 ほと、ほと……
 弱く二度扉は叩かれ、そして止んだ。咄嗟にその場を離れ、しばらく遠目に様子をうかがう。自転車の老人や買い物姿の小母さんが二三人通るも、もう音はしないようだった。こわいというよりある種の気まずさが残り、しばらくはその通りを避けた。しかしふた月ばかり経ち印象も薄れたある日、ふとその通りを選んでいた。とはいえやはり気になり、貸ガレージを横目で見遣る。「×」印が、件の一番手前のシャッター扉いっぱいに、スプレーで黒々と殴り書かれていた。
 よくわからないなりに、一連の出来事を世間話として夫に話してみることにした。笑い話の類ではないが、テレビ番組の感想よりはましだろう。深夜仕事を終えて帰ってきた夫を玄関で出迎えると、夫の右頬が黒く汚れている。皮脂で少々ヨレているが、確かに×印だった。×印は水で洗うとすぐに流れ消えたが、私は貸ガレージの話を止した。

応募作80

「和泉の歓声」

安童まさとし

私は、大阪の和泉にあるアパートの二階に住んでいます。
アパートのベランダから見下ろすと駐車場が広がっており、その向かいには公園があります。
公園ではいつも、近所の子供達が楽しそうにはしゃいでいます。
ある日のこと。 子供達の歓声を何気なしに聞いていると、その日はやたらと近くで声がすることに気がつきました。
声の距離からして、どうやら駐車場で遊んでいるようでした。
車をそこに止めている私は、傷つけられたら嫌だな。と気になりベランダに出ました。
途端、声が止みました。
え・・・。
駐車場を見下ろしてみても、誰もいません。
不思議に思いつつ部屋に戻ると、再びはしゃぎ声が聞こえてきました。もう一度ベランダに出ました。
その途端、また声は止みました。
そんなことを数回繰り返しました。
声たちは、私の行動に合わせるように止んでは聞こえてを繰り返していました。
数度繰り返したのち、自身の異様な行動に気がつきました。
自分は一体何をしているのだろう。ゾッとしました。
子供達の明るい声が聞こえてきました。
しかし、先程までとは様子が違います。
ただの騒ぎ声が、内容のわかる会話になっていました。
「気付いてるのかな」「一緒に遊びたいのかも」「誘う?」「誘おう」
アハハ、アハハと無邪気な笑い声に戻ると同時に、それらは移動を始めました。
アパートをぐるっと回るように、駐車場からその反対側に動いているようです。
反対側。
この部屋の玄関のある方向に。
入ってこようとしている。玄関からは逃げられない。鍵を閉めるか。閉めたところでどうにかなるものなのか。
・・・ベランダから飛び降りて逃げよう。
必死の思いでした。
ベランダに出て、なんの躊躇いもなく駐車場に飛び降りました。
なんとか無事に着地し、少しだけ安堵しました。
すると周りから、はしゃぎ声が聞こえてきました。
アハハハ、アハハハハハ、アハハハハハハハ。
「仲間に入れて欲しいの?」
そこからの記憶はありません。

応募作79

「堂地下にある寿司屋」

石動さや加

 堂島地下センターの端に、その寿司屋はありました。寿司屋の割にお品書きは「そば」「うどん」のみ。店全体がバーよりも暗くて、一応カウンターにケースは置かれているものの何が入っているのか分かりません。その向こうに立っている店員の顔も見えず、低い声で「注文は?」と聞かれ、ようやく男性だと分かるくらいでした。
 その日はフェスティバルホールへ演奏を聴きに行く定だったのですが、バスにも電車にも乗り遅れ、足早に歩いていたら靴擦れまで出来てしまい、当初行くはずの洋食店に向かうと間に合わなくなるので、仕方なくホールに一番近い出口の横にあったその店に入りました。入店と同時に引き返したい気分になりましたが、演奏中にお腹が鳴るのは嫌だったので「おそば一つ」と注文しました。
 ですが出てきたのは楕円の皿に乗った寿司のようなもの。暗くてよく分かりませんが、シャリの上に分厚い肉のような塊が乗っています。私が食べるのを躊躇していると後ろのテーブルにも同じような皿が運ばれて行きました。チラチラ盗み見ると、異様に大きな丸い背中の人物が、徐に手掴みで皿の上の物を口に放り込みました。
「ぷちぷちっ」
凡そ食べ物からはしないような音が響きます。総毛だった私の手に、その時何かが触れました。見下ろすと、シャリの上にあった「塊」が私の手の甲に触れており、呟いたのです。
「……そばに」と。しゃがれた女の声で。
 後のことはあまり覚えていません。悲鳴を上げて店を飛び出し、一目散にホールまで駆け抜けました。
 今になって思うことは三つ。一つは、あの呟きに応えたらどうなったのかということ。二つ目に、音のした食べ物は「うどん」だったのかということ。三つ目は、無銭飲食になったのかということ。
 その店ですか?  信じられないでしょうけれど、今もあるのです。ただし、どうしても見つけられない人も多いみたい。運悪く入店出来たら、あなたも注文してみてはいかがですか。

応募作78

「片想い」

奈鳥香音

 僕は、四條畷の倉庫会社で働く同僚の森下深雪に一目惚れした。深雪は透けるような色白美人で、同僚の男性社員のアプローチを次々かわし、誰とも付きあっている様子は無かった。とうとう社内には、男嫌いという噂が広まって、近づく男性はいなくなった。
 僕は、深雪のことが諦めきれず、ある日、自宅へ向かう深雪の後をつけた。もう十二月だというのに、深雪はコートも羽織らず、ブラウス一枚で歩いている。あまりの薄着に道行く人が振り返る。
 津田で電車を降りると国見山に向かっている様だった。古い小屋が見え、扉の前で振り向いた深雪と目が合った。僕は深雪の凍りつくような目に足がすくんだが、深雪に手招きされ、後を付いていった。
 小屋に入るとまるで冷凍庫のような寒さに驚いた。深雪は僕の前に立ち、上目遣いで僕の目を見つめている。僕は黙ったまま深雪の額にキスをしようと、肩に触れた。深雪の体は氷の様に冷たく、思わず突き放した。深雪は私と一緒に居たければ、このままじゃだめよと微笑む。深雪は僕の手首をつかみ、風呂場へ向かった。水道の蛇口をカラカラひねり、浴槽に水を入れ始めた。僕は猛烈な寒さに震えが止まらなくなってきた。深雪はどこからかバケツに山盛りの氷を持ってきて、浴槽へ入れている。僕の目を見て、ここに入ってと言う。僕は急に眠気と疲労感に襲われ、思考が停止してきた。深雪に服を脱がされ、言われるままに浴槽へ入った。肩まで浸かったが、氷水は冷たくなく、春の日差しが降り注ぐ花畑で深雪を抱きしめている夢を見た。
 気がつくと浴槽の中で深雪が僕に抱きついている。冷たくて気持ちがいいと深雪は満ち足りた様に呟いた。僕は深雪の笑顔を見て幸せな気分に浸った。このまま時よ止まれと思っていると辺りが急に暗くなって息苦しさを感じ、深雪の笑い声が遠く小さくなっていった。