第二回「大阪てのひら怪談」大賞受賞作品

作品タイトル:疳の虫 
筆名:中野笑理子


 父から聞いた話。
 昭和8年生まれの父の生家は、大阪の下町で印刷業を営んでいました。
  父が生まれる少し前から、家業は傾き、祖父が手をだしていた相場も値が下がり、商売を畳まなければいけないほどになっていたそうです。そこへ父が生まれて間もなく、相場も印刷に使う紙も、「買った、上がった。売った、下がった」で、一財産を築くほどになりました。「この子は福子や」いうて、父は兄弟の誰よりも可愛がられたそうです。
 当時、家にはおいちさんという居候の女の人がいました。七人の子供を持つ祖母の手伝いを、家の中、印刷工場と何くれとなく、こまめにしてくれ、家族の皆から、おいっつぁん、おいっつぁんと慕われていたそうです。
 おいっつぁんには、特技がありました。それは、赤ちゃんや幼子の夜泣きや癇癪の原因とされる疳の虫退治でした。
 子供を掌を合わせて向かい合わせに座らせ、おいっつぁんが何やらごにょごにょと呪文のようなものを唱えると、子供の指先、爪と皮膚の間から、白い煙のような糸のようなものが出てきて、それは少しずつ上へ上へとうねりながら細く長く、伸びてきたそうです。それをおいっつぁんがパッと手で払うと煙のように消えて、その晩はほんまにぐっすりと、よう寝れたそうです。
 ある冬の日、夜店でセルロイドのお面を買ってもらった父は、嬉しくて堪らず家の中でもお面を被っていました。ストーブにあたっていると、横に座っていたおいっつぁんの手が急に飛んできて、お面を強く叩き落しました。お面は炎の塊に変わり、おいっつぁんの手も大きな火傷を負いました。
 それ以来、おいっつぁんの疳の虫退治は出来なくなってしまいました。けれども「ぼんがきれいなお顔でおってくれたら、それでええねやわ」と言って、おいっつぁんはケロイドの残った手を撫でて笑っていたそうです。