第二回「大阪てのひら怪談」優秀賞受賞作品

作品タイトル:西中島0番地 

筆名:オキシタケヒコ

 

西中島で働いていた頃のことだ。常態化していた残業の途中で会社を抜け出し、牛丼屋で遅すぎる夕食をとった直後だった。

「うん、西中島までは来とんねん。いや、せやからわからんて。番地教えてぇな」

 そんな声が聞こえた。店を出たすぐの歩道で、電話をしている男がいたのだ。

「ちょい待ってな、メモとるし、ほいどうぞ、ふん、んで、はいはい」

 携帯を肩に挟んで、手元でペンを走らせていた。通話を終え、レシートらしきその紙片をしばし眺めて歩き出した彼を、私は呼び止めた。携帯と一緒にポケットに突っ込まれようとした紙片が、うまく収まらずにひらひらと路上に落ちたのだ。男は礼を言い、手渡したメモを受け取ると去っていった。

 私は首を傾げた。紙片を拾った際に、走り書きされた数字を目に収めていたからだ。

 ――0‐9‐7。

 会話から推測するに、目指す住所の番地であろうと思われるのだが、最初の数字がおかしかった。ゼロなどという番地が、果たして存在するだろうか。

 仕事に追われ、すぐに頭から追い出したはずのその男を、三日後の昼休みに再び目にすることになった。

 西中島にある阪急南方駅の出口には、時間帯によっては延々と通り抜けを阻止される悪名高い踏切がある。だからこそ迂回できる地下道がすぐそばに掘られているのだが、なぜか不思議と、利用する者は少ない。

 薄暗いその通路の途中に、男は立っていた。

 三日前とまったく同じ服装だった。目は落ちくぼみ、無精髭も生え伸びていた。コンクリの壁をじっと見つめ、とうにバッテリー切れとおぼしい電話を耳に当て、何やらブツブツと呟き続けていた。「なぁ、そろそろ入れてぇな」と、一部だけが聴き取れた。

 男がどうなったのかは知らない。以来私も、あの地下道は使わないことにしている。

第二回「大阪てのひら怪談」優秀賞受賞作品

作品タイトル:それは心音ではない、電車の音だ。 

筆名:国東

 

 あたたかい闇が揺れる、ゼリーのように凝っている。一定のリズム。

 エネルギーが送り込まれる。血と肉が集まる。彼は少しずつ、存在しつつある。だがそこは子宮ではない。非常灯もない真っ暗な室だ。電車がすぐ頭上を走っている。邪魔な人間はいない。

 ある夏の日に店先で死んだ、痩せた黒犬のことを皆覚えていた。皮があばらにはりつき、なのに首輪はきつく絞まっていた。舌を垂らし唾液がでないほど乾いていた。すべての水分の後に命が蒸発した。

 彼を思い出し、彼を創造した。芯となる魂に血と肉を与えた。糞尿のにおいと、質量のある闇が彼らを助けた。

 蠍の毒が最初の贈り物だった。彼は何でもせっかちで一番にしたがった。豹の目がぎらぎらと光っている。狭い檻を歩いて呪う。知りうる限りの凶暴さを黒犬に与えたい。

 冷たい手術台の上で黒犬が頭をもたげた。その舌はまだ闇と未分化だ。老いず、長く、多くの殺戮を行えるように、蛇のつがいが内臓を造形した。踏むだけで大地が腐る後足についての独特の考えを、虫たちは共有していた。鳥はうるさい頭の中で彼の毛のことを考えた。炎の息。雷鳴の声。

 あんなにも美しかったオレンジ色の体毛をいまやほとんど失って、オランウータンはぼんやりとしていた。急かして蝙蝠が瞬くが、薬で朦朧とする脳に浮かぶのは濃い緑のにおい、故郷の森だけであった。

 動物たちはそれぞれの檻で小さく鳴き、予感に震え、血の臭いを嗅いだ。人間の。人間を。

 黒犬の尾が肉を持って闇からするりと抜け出る。が。最後の瞬間に、黒と緑の幾何学模様に染め上げられ、木漏れ日の残滓のように輝き、その場に崩れた。

 頭上を電車が走る。呪いの結実はまた別の夜となる。

第二回「大阪てのひら怪談」優秀賞受賞作品

作品タイトル:サヨナラしたいの 

筆名:紅侘助

 

もうほかに方法はないのだと思った。

 あらゆる手段を講じてきた。色んな人に相談した。助力を仰いだ。でも誰も解決できなかった。お金も使った。時間も費やした。期待した効果が出ることはなかった。

 東京に住んでいたら井の頭公園の池でボートに乗っていただろう。池の主の弁天さまの嫉妬で男女は別れさせられるという。

 大阪では天保山で同じことが起きると噂される。理由は知らない。知らないのだけれど、海遊館で遊んだ後に大観覧車に乗った男女はことごとく別れる定めにあるという。

 だからわたしはここに来た。

 ゲートを通ってエスカレーターで最上階の八階に上がる。世界各地の様々な海を巡りながら、一フロアずつ少しひんやりした空気の中を下っていく。その間ずっと一方的に話しかけられる。言っている意味が分からない。

 何かを察するのか、愛らしいラッコもアザラシもガラス越しにこちらに目を向けるやいなや、厭なものを見たかのように顔を背けて泳ぎ去ってしまう。早く楽になりたい。

 大観覧車に向かうためにゲートから退場する。当日再入場のスタンプなど捺して貰わない。わたしの気持ちなどお構いなしに続く男の声は止まることを知らない。

 巡ってきた赤いキャビンに乗り込む。わたしは景色など愉しむ余裕もなく、ただうつむいて耐え続ける。耳元で低く囁く男の声に、時折英語と日本語のアナウンスが重なる。

 キャビンが地上百メートルの頂点に達した頃、不意に静けさが訪れた。長い間鉛を背負わされていたかのように重かった身体がすぅっと軽くなるのを感じる。

 一周巡って一人でキャビンから降りる。もう男の声は聞こえない。気配も感じない。

 ようやくこれで終わったのだ。

 わたしが安堵の息を吐くのと、無人のキャビンの内側からガラスが激しく叩かれる音が響き始めるのは、ほぼ同時のことだった。

第二回「大阪てのひら怪談」優秀賞受賞作品

作品タイトル:歯の話 
筆名:剣先あやめ

 

定年後、父は毎日梅田にある歯神社の境内を掃除することを日課としていた。
神社といっても祠のような小さいもので、参拝者もまばらだ。誰に頼まれたわけでもない。それでも父は、毎日箒とちり取りを片手に小一時間ほどかけて掃除をし続けた。
そんな父が亡くなった。八十を超えていたから大往生といえるが、晩年は重度の歯周病に侵されて歯はすべて抜け落ち、入れ歯も入れられないほどの歯茎の痛みに悩まされていた。
「あれだけ丁寧に神社を掃除したのに、ご利益がなかったね」
 歯神社はその名の通り、歯の病を快癒してくれるご利益があるという。父を荼毘に伏している間に私が何気なくつぶやくと、居並ぶ親戚たちの間に気まずい空気が流れた。
「まあ、兄さんにもいろいろあったから」
 かろうじて父の一番下の妹がそうお茶を濁して話は終わった。
 癌で闘病していた父の骨はすっかりもろくなっており、ほとんど砂のようだった。そこからちょこちょこと白い物がいくつも飛び出ている。歯だ。何十本もの立派な歯は、親戚が何巡しても拾いきれず、ついに職員が小さな箒とちり取りで拾い集めて骨壺に納めた。
 ずっしりと重い骨壺を受け取ると、中からカチカチと硬いものを打ち合わす小さな音が上がる。
「結局ダメだったのか」
 私の背後で親戚の誰かが呻くようにつぶやく。
 いったい何がダメだったのか?尋ねようとしたがなぜか振り返れなかった。
 父が歯科医師だったことを知ったのは、一周忌の法要が営まれた時のことだ。
 私が生まれる前までは歯科医院を開業していたそうだが、なぜ廃業したのかをしつこく尋ねても、誰も何も教えてくれなかった。

第二回「大阪てのひら怪談」大賞受賞作品

作品タイトル:疳の虫 
筆名:中野笑理子


 父から聞いた話。
 昭和8年生まれの父の生家は、大阪の下町で印刷業を営んでいました。
  父が生まれる少し前から、家業は傾き、祖父が手をだしていた相場も値が下がり、商売を畳まなければいけないほどになっていたそうです。そこへ父が生まれて間もなく、相場も印刷に使う紙も、「買った、上がった。売った、下がった」で、一財産を築くほどになりました。「この子は福子や」いうて、父は兄弟の誰よりも可愛がられたそうです。
 当時、家にはおいちさんという居候の女の人がいました。七人の子供を持つ祖母の手伝いを、家の中、印刷工場と何くれとなく、こまめにしてくれ、家族の皆から、おいっつぁん、おいっつぁんと慕われていたそうです。
 おいっつぁんには、特技がありました。それは、赤ちゃんや幼子の夜泣きや癇癪の原因とされる疳の虫退治でした。
 子供を掌を合わせて向かい合わせに座らせ、おいっつぁんが何やらごにょごにょと呪文のようなものを唱えると、子供の指先、爪と皮膚の間から、白い煙のような糸のようなものが出てきて、それは少しずつ上へ上へとうねりながら細く長く、伸びてきたそうです。それをおいっつぁんがパッと手で払うと煙のように消えて、その晩はほんまにぐっすりと、よう寝れたそうです。
 ある冬の日、夜店でセルロイドのお面を買ってもらった父は、嬉しくて堪らず家の中でもお面を被っていました。ストーブにあたっていると、横に座っていたおいっつぁんの手が急に飛んできて、お面を強く叩き落しました。お面は炎の塊に変わり、おいっつぁんの手も大きな火傷を負いました。
 それ以来、おいっつぁんの疳の虫退治は出来なくなってしまいました。けれども「ぼんがきれいなお顔でおってくれたら、それでええねやわ」と言って、おいっつぁんはケロイドの残った手を撫でて笑っていたそうです。 

受賞作品のアップについて

本日2月14日から、受賞作品を順次UPしていきます。Blogのフォーマットの関係により改行等がズレてる場合もありますが、ご了承願います。訂正希望の受賞者は、メールでご連絡下さい。

[osaka_kwaidan@yahoo.co.jp]

 

イラストの購入について多くのお問合せをいただいています。

現在BASEで販売中の昨年分の「大阪てのひら怪談」のイラストは4月末でいったん締め切りを行います。

今年の「第二回大阪てのひら怪談」のイラストのWeb販売については、未定ですが、要望を受け、ギャラリーオーナーと相談を行っています。

 

イラストの発送ですが、現在込み合っていますので今しばらくお待ちください。

2週間経っても返信がない場合は、メールでご連絡下さい。

 

 

 

 

 

第二回「大阪てのひら怪談」受賞作発表

 

大賞

「疳の虫」筆名:中野笑理子

 

優秀賞

「歯の話」筆名:剣先あやめ

「サヨナラしたいの」筆名:紅侘助

「それは心音ではない、電車の音だ」筆名:国東

「西中島0番地」筆名:オキシタケヒコ

 

佳作

「Reflection」筆名:高家あさひ

「梅田ビッグマン前にて」筆名:寒池 笑(さむち わらい)

「おるねん」筆名:野棘かな

「うにたま丼」筆名:剣先あおり

「鋏音」筆名:羽場良日

「前回」筆名:赤い尻

「お試し」筆名:光原百合

 

牧野修

「幸運のお守り」筆名:矢口慧(やぐち さとり)

酉島伝法賞

「優先座席」筆名:矢口慧(やぐち さとり)

東雅夫

「お仁さま」筆名:笛地静恵

山下昇平賞

「黄楊の阿舎」筆名:君島慧是

田辺青蛙

「浮いているもの」筆名:綾野祐介

 

SUNABAギャラリー賞:「イベント終了後に集計によって決定」

 

※SUNABAギャラリー賞はSUNABAギャラリー内に設置された投票箱に、投票された作品の得票数によって決定を行います。