応募作158

「穴」

鳴骸

 

 これまでに人身事故を二度目撃したことがある。しかも同じ日の朝と夜に。
 当時、私は御堂筋線を使い大学に通っており、夜遅くまでパチンコ屋でバイトをしていたこともあって、いつも半分寝ぼけながらホームに立っていた。まだ転落防止のホームドアなどなく、線路を見下ろすことができた。
 アナウンスが電車の到着を告げると、隣の列からスーツ姿の男性がスッと離れ、線路へとおりてしまった。
 間近に雷が落ちたような音がした。
 気がつくと、私は駅員に話しかけられており、どうやら目撃証言を取っているようだった。こういった場合、事故だったのか自殺だったのかを判断するために、必ず二人分の証言を得なければならないそうだ。呆然としている間にそれにつかまってしまったらしい。もう一人は白髪頭に作業着姿の男性だった。
 その日はずっと上の空だった。
 それでもバイトをこなし、帰りのホーム。なんとなく列に並ぶ気になれなくて、ベンチに座っていた。アナウンスが聞こえ、回送列車が通ると告げる。すると、同じベンチに座っていた六十歳くらいの女性が立ち上がり、そのまま線路におりてしまった。
 不思議と驚きはなく、ただ、人によって音が違うんだなと思った。
 しばらくして目撃者を探していた駅員に再びつかまってしまう。もう一人は白髪頭に作業着姿の男性だった。
「なんやまた兄ちゃんかいな」
 今朝一緒に証言をした男だった。
 もちろん行きと帰りで駅は違う。
 なのに、同じ男だった。
「災難やなあ」
 そう言って笑う男の口には、歯が一本もなかった。
 あれからずいぶんと経ち、もうほとんどの映像は抜け落ちている。ただ、そのポッカリとあいた穴だけが、なぜか鮮明に残っている。

応募作157

「五代目」

貝光脩

 

 初の大阪出張で、今宮の大きな神社に近いその屋台に行ったのは、支社で強く勧められたからだ。客は僕だけ。福々しい笑顔の店主は、僕の故郷と浅からぬ縁があるらしい。確かに美味いモツ煮と清酒ですっかりできあがった僕は、聞かれるままに故郷の話を始めた。
 岩手県S町は寒村ながら街道沿いにあったが不運、明治維新ではあっさり薩長勢に占領された。勝てば官軍、彼らはお互いろくに通じない方言で無体な要求を重ね、占領中の一月は本町の最も昏い記憶として古老たちに語り継がれている(と郷土史の授業で習った)。
 いちばん割を食ったのは、祖父によれば僕の曽々祖父らしい。彼は集落一の猟師で(一度に飛び立った鴨二羽を一発で撃ち落としたとか)、狙撃兵として駆り出された。ただ一回の小競り合いで、彼は官軍の小隊長を仕留めたのだが、相手が悪かった。新政府に与した摂津の名家の出だったのだ。罪に問われるのを恐れてか、彼は生涯村外れに隠れて暮らしたという。
「そら難儀な」店主は相変わらず笑顔だ。「でも戊辰戦争で戦った兵隊さんは何千とおって、ほとんど問題はなかったはずや。あんたとこはなんで、隠れなあかんかったんです」
 その通り、と僕はもはや何杯目か忘れた酒を飲み干した。「だから訊いたんです、本当の理由があるでしょって」
 祖父はそっと教えてくれた。重左じいさんが撃ったのは人だけじゃない。一発で相手が持っていた守り神も壊してしまったんだ。だから、恐れたのは刑罰じゃなく……
「……天罰」店主は笑みを顔に張りつかせたまま言った。「やっぱりあんたの家か。そのえべっさんはな、ずーっと探しとったんやで。七代、あんたの孫の代までは財運薄くなるから覚悟しとき」
 ハッと顔を上げると、店主が僕の頭に鉛の鯛を振り下ろすところだった。最後に見た彼の目は、ただの真っ黒な穴だった。まるで鉛弾に撃ち抜かれたみたいに。
 目を覚ますと、財布の中身が全部抜かれていた

応募作156

「花博の年」

海音寺ジョー

 

 ここの公園は、花博の時整備されて出来た。かれこれ27年前のことだ。ぼくが良く覚えているのは、この年に大阪の大学に入学が決まって、電車で大阪駅を通るたびに新聞の号外チラシをフリーラックから貰ってって、カラフルな花の写真を車内で毎日眺めていたからだ。

 大阪各所に花壇が設けられて、ぼくの大阪の最初のイメージは紫や青やピンクのパンジーの花畑だった。卒業して暫くすると東京に移り住み、離れていたのでここを歩くのは20年ぶりだ。あの頃ほど花は咲いていないけれど、そんなことよりも懐かしさが先に立って、ぼくは花壇に挟まれた遊歩道を歩きながら当時のことを思い出し、過去の自分の海に潜ることを楽しんでいた。

 そのとき陽光が雲に遮られて、潜水の深度が変わった。花の口が開き、ぼくの名を呼んだ気がした。

 いや、足の裏の感触が、当時気にもかけなかった道の凸凹が、記憶を呼び起こすスイッチだったのか。ボコン、ボコンとぼくは27年前のことを次々と思いだす。

 5月に入会したサークルのこと。同じ日に入った女の子を好きになったこと。その女の子に、虫を見るような目で見られてカッとなったこと。その先のこと。ぼくは後ろ手に薔薇の花束を隠し持っていた。彼女の誕生日に渡そうと思って、大学の傍の花屋で買ったやつを。周りの奴らが、冷やかしで薄ら笑いを浮かべていた。
 ぼくは恥ずかしくなって真っ赤になって、それから怒りがこみ上げて来て薔薇を鋏でバキッ、バキッと細切れにした。赤い粉になるまで、徹底的にやった。
 
「そうだったね」
「ねえ」
と両サイドから花が囃し立てた。大きな声でケタケタと嘲り笑った。花は歯を見せて笑っている。無数の人面がぼくを、虫を見るような目で見ている。

応募作155

「イルカとシャチ」

アオ

 

私が生まれたのは堺でも南の方にある泉北ニュータウンだ。高度経済成長期に山を切り拓いて作られ、家からほど近い泉ヶ丘駅というのは図書館や児童館、プールが併設されていた。
まだ七歳の時に府外から従姉弟らが泊りがけで遊びに来たのでその泉ヶ丘駅にあるプールに行くことになった。
五つ年上の兄と、同い年の双子の従姉弟二人は私の面倒を見るという約束でドーナツ型のプールで遊ぶことになった。母が私の両腕に浮きしっかりと結わえ付けた。
プールの中では私は後ろから兄の首にしがみついていた。丁度水中でおんぶをしているような感じだ。これなら離れることもないし兄も泳げる。
私は楽しんでいたが一つ気がかりなことがあった。ドーナツ型のプールの底にはイルカやシャチの絵が描かれている。私はこれらが苦手だった。可愛らしくピンクや水色ならよかったのだが黒で描かれていたので不気味だった。自分の体よりも大きく描かれたその黒いイルカやシャチに飲み込まれるのじゃないかと怖かった。
その絵に差し掛かったのを確認したときにギュッと目をつぶって足をちぢ込めた。兄ははしばらくの間普通に泳いでいたが急に体勢を崩し、私は彼の背から投げ出された。塩素の苦い味のするのと水が入った目と口が痛いのを我慢しながら必死に何が起こっているのか把握しようと目を開けたがよく見えなかった。ただ真っ黒いものが私を取り巻いているのが分かった。ついにイルカとシャチに食べられるのだと覚悟を決めた瞬間すごい力で引っ張り上げられた。
私を助けたのは母で、兄にふざけるんじゃないと怒った。兄は誰かが足をすごい力で引っ張ったのだと弁明した。従姉弟の姉の方は私も引っ張られたと泣き出すし、弟は誰もそばにいなかったと言った。
そうやって不毛なやり取りをしていると監視員さんが来てこれはお宅のお嬢さんのですかと聞いてきた。彼が手に持っていたのは母が念入りに私の腕に結び付けていた浮きだった。

応募作154

「大阪のおっさん」

岩里藁人

 

 父親の遺品整理をしていたら奇妙なものが出てきたから見に来い――そんな連絡をよこしたのは大学同窓の棚橋だ。今年二月に亡くなった父の跡を継いで、古書店の三代目におさまっている。埃っぽい店内に入ると、テレビをつけっ放しにして本の値付けをしていた。こちらの顔をチラリと見るなり、ドサリと紙の束を放ってよこす。なにやら絵が描いてあると思ったら、骸骨である。ガイコツ一家が炬燵で鍋をつついている。裏返してみて、あきれた。「年賀状じゃないか」
 パラパラとめくると骸骨、骸骨、骸骨のオンパレードだ。年一枚の年賀状が束になるほど、毎年こんな絵柄を送ってきたのだろうか。正月は冥土の旅の一里塚とはいうものの、よほどのヒネクレ者に違いない。差出人を見ると「乙三洞」とある。キノトミツ……と読みあぐねていると「おっさんどう、と読む。心斎橋の古書店主だ」と棚橋から助け舟がでた。奇矯な絵柄ではあるものの、数寄者揃いの古書店主同士の遊びと思えば、呼びつけにするほどのものではあるまい。もう一度、今度はていねいに見ていく。最初のものはずいぶん古い。大正である。木版刷り、芋版、プリントゴッコ、PC制作と移り変わっていくが、骸骨がモチーフなのは変わらない。大正・昭和・平成……いや、ちょっと多過ぎやしないか。「乙三洞の没年は昭和三十四年。まあ、その後も子息が続けたのかもしれないが」そうじゃない。平成二十九年、三十年、三十一年、まだある。「これは……」「新元号なんだろうな。へぇって感じだが」
 骸骨はますます盛んに嬉しそうに跋扈している。唐突に、英語表記の一枚が混ざる。そのあとは漢字のような記号のような読み取れない表記が続く。髑髏は空ろな眼窩を晒して呵呵大笑している。「……これから日本はどうなってしまうのでしょうか」そう言ったのは棚橋ではなく、つけっ放しにしたテレビに映るニュースキャスターだった

応募作153

「ぅん……ない……ねん……」

秋月優貴子

 

<み>どうすじの ぎんなん
   でんしょく からだに まきつけられて
   すいみん ぶそくで みな しんでん

<な>んばの げいにん
   ほんまに うれへん くってけへんて
   じぶんで わろうて みな しんでん

<し>んさいばしの ばくだん
   あめあられに ふってきて
   やけこげたんで みな しんでん

   ほんまに うちら
<ぅん>……ない……ねん……

   ところ
<で> あんた

<ぅん>たらかんたら

    だれやねん?  (了)

応募作152

「千鶴ちゃんの居場所」

潮闇 ユキ

 

 千鶴ちゃんは五歳下の幼馴染で、私のことを「おねいちゃん」と慕ってくれていた。  彼女は小学生の頃より難病を発症し苦しんでいた。

いつも呼吸は荒く皮膚は爛れている。幼い頃の笑顔はそのままだったが、見てくれは散々だった。

「お医者さんがね、千鶴の病気を治す薬もうすぐできるから、もう少し我慢してって言ってるの」彼女がそう言う度、私は手を握り頑張ろうねと励ました。

「お医者さんがね、もうお薬ができるから、あと少し待っててって。でももう疲れた。」  高校生の彼女は、いつもマスクをしていた。

「毎日毎日ずっと我慢しているのに出口が見えないよ。私の身体は、病気が生きる為にあるのかな。自由になりたい。」私は何も言えなかった。

「人は死んでも魂は生きているんだって!この身体が無かったら自由になれそう。もし私死んだとしても、おねいちゃんには絶対会いに来るからビックリしないでね。」そんな事言わないで頑張ろう。そう言って彼女を抱きしめた。  

それ以来、私は彼女に会っていない。  

彼女は飛び降り自殺をしてしまった。  

私の足元のコンクリートブロック。彼女が頭を打って死んだ場所。血の跡が残っていたが、やがて消えると小さく文字が浮かび上がってきた。

“出られない”  癖のある文字が彼女を思い出す。自ら命を手放した魂に自由は与えられないのか。しゃがみこんでコンクリートブロックの文字を撫でる。  

昭和四〇年代、大阪のベットタウンに建設された高層マンションは、当時珍しく注目を浴びた。そして無防備な高層階の共用部に入り込んで飛び降りる者が続出した。  

千鶴ちゃんのコンクリートブロックの傍にも、幾つもの小さな言葉が刻まれている。