応募作16

ビリケンさんの町」

高家あさひ

 私はビリケンさんのいる町に住んでいる。
 というとだいたいの人には大阪? と聞かれるが、そうではない。アメリカの、平原を流れてきた大きな川が二本まじわる、そのほとりにある町だ。ここのビリケンさんは大学のマスコットになっていて、構内にブロンズ像がある。昨年、父が死んだ日にも、私はこの町にいた。入院したばかりのころはまだ元気で、一時帰国して見舞いに行くと、ベッドの脇の窓をゆびさして「通天閣がよお見えるやろ」と上機嫌で教えてくれた父だった。
 二月の寒い日の夜だった。私がひとり暮らしのアパートのリビングで本を読んでいたら、突然、玄関のドアが、ごんごん、とノックされた。こんな時間に? と身を固くして黙っていると、今度はやや控えめに、ドアの下のほうを叩く音がした。それでも私は無視をきめこんだ。こんな夜更けに、まっとうな急ぎの用事があるなら、まず電話でもしてくるか、そうでなくてもノックしながら声をかけるぐらいのことはするだろう。だんまりを続けていると、やがてあきらめたのかまちがいに気づいたか、足音がぺたぺたと扉の前から離れていった。そうなってから私はようやく立ち上がり、玄関扉のピープホールをのぞいてみたが、廊下の床と壁と天井が丸く歪んで映っているだけで、もちろんもう誰もいない。チェーンをかけたままのドアをそっと細く開けて外を確認すると、薄暗いあかりがともった廊下の先、階段への角を、背の低い影が曲がっていくのが見えた気がした。はだかの丸い背中が黒光りしていた、そんなふうに憶えているけれど、ちがうかもしれない。
 電話が鳴って「お父さんが……」と告げる母の声を聞いたのは、次の日の朝になってからのことだった。

応募作15

「信太森葛葉神社」

 籠 三蔵

 初秋の冷たさを含んだ雨が、銅拭きの屋根にしとしとと降り注いでいる。地元唯一の有名スポットとも言える北信太の葛葉稲荷は、幼い頃、裏手の公園で友達と遊びに興じた後、神様に挨拶をして帰るうちに、自然と私の心の拠り所となっていた。
「男の子だ」
後から来た参拝客の女は、私の後ろに立つと、ぞんざいな口調でそう呟いた。石畳の水溜りに映る姿から、着物を着て番傘を差している様子だ。意地悪そうな口調に私はわざと返事をせず、拝殿に向かってじっと手を合わせていた。
「馬鹿だねえ」
嘲笑のような含み笑いが背後から響く。
「その雰囲気だと、男の口車にでも乗って貰っちまったんだろ?甘い言葉にうっとりして呆けている、あんたの顔が目に浮かぶよ」

そう、あのひとは私だけを愛していると言ってくれた。妻とはもう終わっている、関係をきっちり清算して、私と一緒になると耳元で優しく囁いてくれた。
それなのに、それなのに…。

悔し涙が頬を流れる。胎内で鼓動する小さな命を抱えたまま、これから自分はどうして生きて行けば良いのかと。藁にも縋る思いで導きを求め、馴染みのこの場所へと足を運んでいた。女は私の横に並ぶと、拝殿に手を合わせてこう呟いた。
「母親がそんなに弱気では困り者だな。私は息子にこう言った。狐の子だからと人に笑われることのないようにせよ、母は陰からお前を見守っていると。その言葉を守り、我が子は強く立派に成長したぞ」
その声に驚いて横を向く。
濡れた石畳の上には誰も居なかった。

子宮の羊水の奥底から、生きたいと願う我が子の胎動が伝わる。
私は深く頭を垂れ、涙を拭いながら灰色の空を見上げて、社を後にした。

応募作14

「河童のおっちゃん」

花月

ワシ 河童やねん。
夏休みの解放プールで、上手に泳ぐおっちゃんは 小学生の私にそう言うと 泳ぎを教えてくれた。
ソフトボールの練習もみてくれたし 近所の祭りも手伝ってたから町内会の役員でも引き受けてはったのだろう。

ある日、私の隣の家が建替えるとなったとき 蛇が出た。
大きな木もあったから棲んでたんやろな。
隣の家の人は、蛇を殺したんだと聞いた。
「殺さんかて そこの土手に逃がしたらよかったのに。」
河童のおっちゃんは そう言う。

その日から 夜寝てると ズルズルと足をするような音で目を覚ます。
「なんなんやろ…誰か隣の家見に来てんのやろか。」

ズルズル ズルズル ズルズル

またや…。

家も庭も壊され 何もなくなった隣を見ながら 河童のおっちゃんに その話をした。
「こないだ殺された蛇の嫁やな。探しとるんやな。せつない せつない。」とタバコをふかし去って行った。

新しく家も建った頃 隣の息子が結婚したらしく 家にも挨拶に来た。
「お嫁さんは きれいな人やったで。」
私は河童のおっちゃんに 教えるとブルブルっと身ぶるいし
「蛇の嫁が来たんやな。」
驚く私に 河童のおっちゃんはつづけた
「しゃあないし 嫁に行けや って 勧めてんや。」
「…。」
「せやから ワシ河童やねんて。」

子供の頃 住んでいたのは 京阪電車の大阪方面と京都方面を結ぶ真ん中あたりが最寄り駅。
大昔は沼地やったと聞いたから
きっと おっちゃんはほんまに河童やったんかもしれない。

応募作13

「ブタ女」

司條由伊夏 

 わたしは幼少の頃から肥っていました。それは仕方がありません。食べることが大好きだったのですから。でもわたしは、肥っている自分が嫌いではありませんでした。肥っていることはわたしのアイデンティティーですらあり、だから「デブ」と呼ばれても傷つくことはなかったのです。肥っている人にデブと言って、何の悪いことがあるでしょう。
 しかし、中学に上がってすぐ、わたしは大阪に転校しました。そして教室で自己紹介をした直後。一人の男子がこう叫んだのです。
「めっちゃブタや! ブタ女や!」
わたしは愕然としました。ブタだなんて。まさか肥っているだけで人間扱いすらされないだなんて。大変なショックでした。
 それでもわたしは、肥っているといじめられやすいことは知っていましたので。明るいキャラを演じ、人気者になることに成功しました。女子からは「ぶーちゃん」と呼ばれ、それは不快ではなかったのですが。問題は彼でした。最初にわたしを「ブタ」と呼んだ彼は、ことあるごとに「ブタ、ブタ子、ブタ女」とわたしを嘲ったのです。何でもない風ににこにこしながら、わたしの中で怒りは徐々に高まっていきました。

 彼はきっと知らなかったのでしょう。ブタは決して鈍重な生き物ではないのだと。実は非常に貪欲で、何でも喰らってしまう凶暴な生き物なのだと。

 彼がいなかったことで、わたしは心穏やかな一日を過ごせました。お昼休みになり、机の上に出したお弁当箱を見て、仲の良い女子が不思議そうに言いました。
「ぶーちゃん、今日はお昼そんだけ?」
「うん。昨日、おいしいお肉いっぱい食べすぎちゃってさあ。まだおなかぱんぱん」
わたしはおどけるように、丸いおなかをぽんとたたいて微笑みました。

応募作12

「ちょっとヤバいかも」

GIMA

 あ、もしもしオレオレ。
 ちょっとオレさ、ヤバい事になってるかもしれんでさ。
 あ? あ、もうそっちにも話行ってるか。
 ああ、あいつが車に轢かれてさ。うん。死んだんやけどな。ツレがな、バチが当たったんとちゃうか言うてな。
 うん。バチ。心当たりは……やっぱあれなんかなあ。
 先週な、ミナミに飲みに行って、法善寺横町の水掛不動のとこを通ったんやわ。そん時な、あいつがいきなり、そのへんに落ちとった板切れを持って、水掛不動の苔をガリガリ剥がしだしよってん。
 ビックリしたけど、カッパハゲみたいになった水掛不動が可笑しゅうて、オレはゲラゲラ笑ってたな。
 ほんで昨日もあいつと飲みに出とったんやけど、車に轢かれて……いや、轢かれたちゅうか、引きずられてな。身体の皮、ズル剥けになって、あん時の水掛不動みたいになってしもて。
 オレ? オレは水掛不動になんもしてへん。手前に立ってる小っちゃいやつに蹴りを入れただけで。
 あ、うん、コケてな。頭が取れて、転がった頭がパカッと二つに割れて。
 いや、水掛不動にはなんにもしてへんやん。あんな小っちゃいの、大したことないやろ? なんでオレもバチが当たんねんな。
 いやまあ、言うてもな、なんか気色悪うて、今まで飲んどったんやけどな。なんか全然酔わへんわ。
 ウロウロしとって、あいつみたいに車に轢かれたらシャレにならへんしな。もう帰って屁ぇこいて寝るわ。
 あ、うん、今、地下鉄の駅。
 あ、電車来たから乗るわ。
 ほなな。

応募作11

「七不思議の井戸」 

GIMA

 ここ一年ほど、暇を見つけては、否、無理矢理にでも暇を作って、神社仏閣に参拝している。
 目的は縁切りだ。
 胸をえぐられるような嫌な記憶と、その元となった人物の記憶一切、自分の頭の中から消えて、精神的に完全に縁切りできるようにと祈願している。
 今日訪れたのは四天王寺だった。
 大黒堂、六時礼讃堂、亀井不動尊、太子殿、阿弥陀堂と回り、そのいずれでも、線香を焚き、精神的縁切りを願った。
 阿弥陀堂に参って極楽門から出ようとしたところで、何かの御縁日でもあるのか、中心伽藍が入場無料なのに気づき、ではついでにと、中心伽藍にも入ることにした。
 中心伽藍の講堂や金堂でも、参拝して願うことは変わりない。一年前の記憶と、不快な手の感触が消えることを願う。
 入ってきた西重門のそばに、「龍の井戸」と呼ばれる井戸屋形が建っている。
 ここは「四天王寺七不思議」の一つで、井戸の底をのぞき込むと龍の姿が見えるという言い伝えがあり、事実、龍が見える。
 実は他愛もない仕掛けで、井戸の真上、屋形の天井に龍の絵が描かれていて、それが井戸の水に映るのだ。
 ばかばかしいとは思いつつも、のぞき込んで、井戸の底を見下ろす。

 女の顔があった。
 この一年、どこでどう祈願しても頭の中から消えることのなかった女の顔が。
 両手の指がうずき、首を絞めた時の不快な感触がよみがえった。
 井戸の底の女が笑った。
「やっと見つけた」
 その声は、井戸をのぞき込む頭の後ろ、屋形の天井から聞こえた。

応募作10

「和泉ナンバー」
赤い尻
 運転席の窓を叩くのは警察官だ。深夜のコンビニ駐車場で車中にじっとしているのを見咎められたのだ。快く職務質問に応じる。
「妻と喧嘩をして咄嗟に家を出て、ここで頭を冷やしていたんです。免許証。は、今持っていません。着の身着の儘で」
 警察官は腰をかがめて車内をぐいっと見渡すと、「ここ滋賀ですよねえ?」と言う。はいそうですね、
とこちらの間抜けな答えを斬るように、「なんでこの車、和泉ナンバーなの?」と鋭く言った。
「ああ、大阪から引っ越してきたばかりなので」
 こちらの態度や車内の様子から問題無いと判断したのだろう。警察官は口角を上げ、「なるほど。もういいですよ。奥さんと仲良くね」と言い去った。
 また別の日、別のコンビニ駐車場にて。夜勤明けの軽い買い物を済ませ車に戻ると、見知らぬ老人に声をかけられた。
「ここ滋賀だよねえ?」と訝しげである。
「なんで大阪のナンバーなの」
「大阪から引っ越してきて……そのままで」
 早朝の散歩中といった風の老人は無遠慮にこちらを観察していたが、ややあってふらりとその場を離れていった。
こんなことがあった、と夫が湖岸をドライブ中にふと語った。このあたりでは和泉ナンバーがそんなに目立つのか、そんなに疑わしいのか、などと言い交わすうちに白い大型客船を模したショッピングモールに着く。駐車するなり突然夫がキーも抜かずに運転席から降りて駆けだした。むこうにいる家族連れを呼びとめているようだ。知り合いなら自分も挨拶をとそばに行くと、夫が「ここ滋賀ですよねえ?」と声をかけていた。困惑する家族連れの車は和泉ナンバーだった。
 数日後夫に辞令が出た。数年暮らした滋賀県から大阪は泉州へと戻ることになったのだ。ここではもう誰も和泉ナンバーを怪しまない。