応募作149

「祖母の言葉」

剣先あやめ

 

「あんな汚い言葉、あんたはよう使ったらあかんよ」大阪は船場で生まれ育った祖母は、テレビの中で漫才師やタレントが関西弁をしゃべる度に、顔をしかめた。祖母のしゃべり言葉は、「びろうどの布の上に玉をすべらせるような」と例えられるような見事なせんば言葉で、幼い事の私は、童謡や流行歌よりも祖母のしゃべり言葉にうっとりと聞きほれたものだった。祖母は私より3つ年下の病弱な弟の方がかわいかったようだが、それでも毎夜寝る前に、添い寝して本を読んでくれた。祖母が読めば桃太郎や猿カニ合戦も異国の艶やかな話めいて聞こえ、なんども繰り返し音読をせがんでは祖母をあきれさせたものだった。祖母は、いつも本を読み終わると私に短い言葉を復唱させた。母音と子音が複雑に絡まり合った呪文めいたその言葉は、たいそう発音しにくいものだったが、祖母は正しくしゃべれるまで何度でも繰り返させた。「おばあちゃん、これなんて意味?」私が尋ねても、祖母は曖昧に笑うばかりで答えをはぐらかし続けた。そんな祖母は、私が19になった直後に亡くなった。「私の方が絶対先に逝くと思ってたのになあ」葬儀の後の精進落としの席で寂しげに笑う祖母の親友だったという老婦人に、思い切ってあの言葉の意味を尋ねてみた。結局祖母からは聞かずじまいだったからだ。老婦人の上品な顔がサッと青ざめ、「あんた、それどこで?」と尋ね返される。素直に祖母との思い出を話すと、彼女は一つ大きく身震いして立ち上がった。「いくら男が大事やからというても、あさましい」「え?」「お付き合いは今日限りにさせていただきやす」と大慌てで去っていく老婦人の後姿を、私はぽかんと見つめることしかできなかった。祖母の49日の前に今度は弟が死んだ。内臓がすでに腐りかけており、生きている方が不思議な状態だったらしい。私は日に日に体が軽く活動的になり、母からなんでお前ばかり元気そうなんだとぐちられている。