応募作109

「くすぶり」

猫吉

 

 大阪ではくすぶりと呼ばれていた将棋の真剣師がまだ存在していた頃の話だ。
 通天閣のすぐそばに三Kクラブという将棋会所があった。そこにくたびれた背広を着た中年男のくすぶりがいた。
 ひょんなことからそのくすぶりと対局することになった。男は角を交換するといきなり6五角と打ってきた。急戦に持っていくのはくすぶりの常套手段である。
 その日、私は調子が良く、有利なまま終盤に進んだ。次に必至をかければ必勝形だ。
 入り口から誰かの気配がした。このクラブはガラス張りになっていて、外から対局しているのがよく見える。盤面から視線を動かしてそちらを見ると、おかっぱ頭の女の子がこちらをのぞき込んでいる。
 顔色は悪く、ぎらついた眼をして親指をあめ玉のようにしゃぶっていた。誰かを呼びに来たのかと考えているうちに姿は見えなくなった。
 駒を指す音がした。男は飛車を成込んできた。私は必至をかけたつもりだったが、男の玉は端から逃げ出していった。いつのまにか端歩が突いてあったのである。
 男は勝ったといわんばかりに親指をなめながらニッと笑った。
 クラブを出てから先ほどの将棋を思い返した。私が子供に気をとられている間に、男がこっそり端歩を動かしたのだろう。
 女の子は男の子供で、こちらの注意をそらすための道具だったのだ。
 三ヶ月後、私が出張から戻ると、くすぶりは姿を消していた。
 常連にくすぶりの消息を聞くと、二週間前に公園で冷たくなっていたと話してくれた。
「あの男には子供がいたんじゃないですか」
「そういえば、女の子がおったわ。五年前に死んだらしいんやけど。可哀想に餓死ということや」
 常連はそう答えた。