応募作66

「おおきに」

長野あき

 浮浪者とぶつかった。スーツにワンカップの日本酒がかけられ、安物のアルコールがしみ込んだ。
「すんませんなぁ。お兄さん」
 瞳が濁り、髭がだらしなく伸びた汚い小男だった。すえた匂いが鼻につき、思わず舌打ちをする。
「足がこのとおり、ほれ、ガタが来ているんですわ」
 不自由そうに右足を上げると、ポンポンと叩いた。
 大阪に出張に来て、1週間。大型の仕事が片付き、気分よく居酒屋で一杯ひっかけた後だった。顔に泥を塗られたような気分になって、無視して通り過ぎようとした。小男が肩に手をかけ、強引に止めた。
「自分、シュッとしてんな~。ええな~。自分の顔、欲しいなぁ」
 嫌に粘つく声で小男が言った。その顔が、自分の顔に変わる。鏡の前に立っているように、そっくりだった。
「お、ええやん。男前やろ。自分の身体も欲しいなぁ」
 自分の声そのものだった。自分の声で、流暢に大阪弁を話している。悪い夢の中に入っているようだった男の肩を振り切って、走り出す。
 すぐに走りづらいことに気が付いた。右足を引きづっているような感覚が、絶えず付きまとった。右足を見ると、汚れすぎて茶色くなったズボンを履いていた。ズボンの上から足をさすると、硬質な感触が返ってくる。
「義足の足や。最初は難儀するが、じきに慣れる。大事に使ってや」
 後ろを振り返ると、自分よりも大きな男になっていた。スーツを着て、赤ら顔で上機嫌な自分がいた。
「えらいおおきに、ほな」
 自分がそう言って、踵を返した。
「ま、待ってくれ!」
 足がもつれ、アスファルトに転がり、したたかに頭を打ち付ける。
 顔を上げると、誰もいなかった。しかし、ぶつかったのは間違いじゃない。奮発して買ったワンカップの中身をこぼしてしまっていたのだから。
 袖に吸いつき、しみ込んだ酒を少しでも味おうとした。しかし、すぐに日本酒の味もしなくなった。