応募作18

「智子」

最東対地

 松島新地という色街があるらしい。
「あるらしい」としたのは、わたし自身聞いた事がなかったからだ。飛田新地は今や観光地として有名で、関西の男で知らない者はいないだろう。
しかし、飛田新地以外の色街があるなど考えもしなかったわたしは、好奇心と興味に負けて一度行ってみようと考えた。
カーナビにネットで調べた住所を入れ、車で走りながら高鳴る胸を抑えた。
『目的地は右側です』
突然のアナウンスにわたしは跳び上がりそうになった。普通なら目的地までに『〇〇を右方向です』や、『このまま道なり〇キロです』という途中経過のアナウンスがあるはずだ。
それらをすっ飛ばして突然『目的地は右側です』と鳴った。驚くのも無理はない。
松島新地は【JR九条駅】降りてすぐにある。にも関わらず現在地を見ると【大阪市西区新町】となっていた。
そんな馬鹿な、と入力した目的地を確認する。すると不思議なことに目的地は松島新地ではなく【新町遊郭】と表示されている。
新町遊郭? 輪をかけて訊いた事のない地名だ。
気味が悪くなり、興を削がれたわたしは引き返して自宅に帰った。マンションの玄関をあけると妻が「おかえり雅治さん」と出迎えてくれた。返事に困りながらリビングに入ると娘が正座をして「おかえりなさいお父さん」と深々と頭を垂れた。
娘は普段、わたしのことを「パパ」と呼ぶ。それに妻も変だ。
ふたりとも妙ににこにことしていて、心まで見透かされているような気分になる。
「智子」
そう呼ぶと妻が、なぁに? と返した。わたしは「いや、いい」と返事をして、用事を思いだしたといって再び外にでた。
エレベーターを下りながら汗でシャツを貼り付かせたわたしは、必死でこれが夢だと言い聞かせる。
妻の名前は「智子」ではなく「晴美」。わたしの名前は「雅治」ではなく、「雅人」だ