応募作159

曽根崎心中

アオ

 

 私はまだ二十にもならぬ若い女の手を引きながら天神の森を走っていた。女はつぶし島田に髪を結いあげていて着ているのは着物だった。えらく時代がかった格好だ。これではまるで時代劇か舞台じゃないかと不思議だったが六つの鐘が鳴ったので急がねばと足を速めた。
 しばらく行くと一本の棕櫚の木から二本の枝が生っているのを見つけた。これなら心中の場所に適当だろう。女も納得している様子だった。どうも私たちは心中するところらしい。
 悲しみの中に嬉しさがにじみ出たような年に似合わぬ表情を浮かべるその顔をどこかで見たような気がした。
 彼女を木に帯でくくりつけながらいよいよ殺すのだという実感がわいてきた。まだ幼い丸みを帯びた顔つきを見るに殺すのには忍びない気がする。もう会えなくなる家族のことを話す彼女を見ていると腰に下げた脇差を重たく感じた。次第に二人してわっと泣き出してしまった。涙のこぼれるのを抑える手は色白く、細い。震える彼女の肩を抱きしめる。
「はやく殺して」
 その決心を込めた一言に脇差を抜いた。白く柔い肌を見ると目を逸らしたくなり、手も震える。その弱い心を叱咤し気を引き締めても切先は。あなたへ外れこなたへ逸れ。二三度ひらめく剣の刃。あっとばかりに色咽笛に。ぐつと通るが
「南無阿弥陀。南無阿弥陀南無阿弥陀仏
と。刳り通し刳り通す腕先も。弱るを見れば両手を延べ。断末魔の四苦八苦。あはれと言ふも余り有り。


 汗をびっしょりとかいていてシャツが体に張り付いていた。嫌な夢をみた。窓の外を見ると空は丁度空が白んできたところだった。
ソファから起き上がり、周りに散らばった資料を拾い集める。ハードカバーの本や雑誌、印刷された紙の束もすべて曽根崎心中に関するものだ。小説を生業にしている私は題材にすることになり、昨晩も舞台で見たところだった。あの夢もそのせいだろう。
 脇差で刺した肉の感触と血の匂いが手にこびりついているような気がした