応募作148

「名月峠」

薄野ジロウ

 

晩秋の夜、美咲と能勢を抜けた山中まで紅葉ドライブにいった帰りの夜のこと。美咲は、優しく、どこか儚げな表情を見せる女の子で、僕は美紗を愛している。時計は九時を回り、クルマはやがて名月峠に差し掛かった。そこで、こんな話をしたんだ。 「昔ね、このあたりを治めていた豪族の能勢氏に、とってもきれいなお姫様が嫁いできたんだ。名月姫って言ってね。夫婦仲良く幸せに暮らしてたんだけど、噂を聞きつけた平の清盛が、姫を我に差し出せって、迫ったんだ。」 「・・・・・・・・え!」 「平家には逆らえない。名月姫はこの峠を越えて、清盛のもとへ向かっていたんだ。でも、夫との中を引き裂かれた悲しみのあまり、ここで自害したんだそうだ。この峠はいつしか名月峠と呼ばれるようになったんだ。」 美咲は泣いていた。聞き取れるのもやっとのかすかな声で 「・・・可哀そう・・・」と微かにつぶやいていた。 「ごめんね、せっかくの夜にこんな話して・・・・もう急いで帰ろう」 「・・・可哀そう・・・可哀そう・・・・」 「おい、美咲、どうしたんだ!! 美咲!!」 そのときだった。クルマの前方の道路の両脇の木々に、いっせいにイルミネーションがともったんだ。こんな山奥の木にイルミネーションだなんて!! 車が近づくと、イルミネーションのライトはふわっと揺らぎ、次の瞬間いっせいに下の方に流れてきた。奇妙なことに、二個一つのペアでライトは降りてきたんだ。猿の大群だった。ライトは猿の目だったんだ。そして、行く手を阻むように一斉にこちらに迫ってきたんだ。僕たちを絶対に行かせないというように・・・・ 何なんだ!! 僕はパニックになって、慌ててバックして、来た道を引き返したんだ。そのあと、どこをどう走ったのか、覚えていない。何とか高槻のマンションに戻ってきたときは、日付が変わっていた。美咲は、微かに微笑んでいるように見えた。この夜のことを、美咲は全く覚えていないという。