応募作147

「命日」

竹内宇瑠栖

 

 大阪北部でタクシーの運転手をするAさんが、まだ十三が今よりもっとにぎわっていた時代の体験だと話してくれた。  町に木枯らしが吹き始める時分、夜中の一時半を過ぎ、十三での客待ちをしていた。さすがに今日はもう客を乗せるのは難しいかと思っていると、青い着物の女性が後部座席の窓を叩いた。年は四〇前後。雰囲気やたたずまいから、飲み屋のママかチーママのように思える。  ドアを開けて乗せると、大阪府兵庫県との県境を越えてすぐの町の名をいう。車内での女性は口数が少なかった。時間も遅く、仕事帰りのため疲れているのかと思い、Aさんはそっとしておいた。  着いた場所は、火葬場近くの一軒家だった。  しかし、随分と遅い時間なのに、家の中から光がもれている。女性は「手持ちが少ないので、家から取ってくる」といって、車を降りた。ところが、待てど暮らせど戻ってこない。  二〇分が過ぎたところで、待ちきれなくなったAさんはチャイムを押した。少し間があって、老齢の夫婦が扉から顔を出す。怪訝そうな顔をしているが、青い着物の女性が、タクシー代を払わずにこの家の中に消えたことを説明した。すると、話の途中でみるみる老夫婦の表情が変わっていく。  「それ、うちの娘です」と老爺が言う。  Aさんが「それでは、その御代をいただけませんか」と答えると、  「去年の明日、いや日付が変わっているから今日、亡くなったんです。十三で水商売の店を構えていたのですが、体調を崩してあっという間に……」  家の奥に姿を消していた老婆が「お釣りは結構です」と一万円札を渡してくれた。Aさんは、こういうこともあるのかとその家を後にした。  Aさんは、今でも青い着物の女性の生地の柄まではっきりと覚えているという。そしてタクシーの運転席で「幽霊を乗せたのは、あの時一回きりですわ」と笑った。