応募作144

「入試」

杉本達治

 

大阪に住むYさんから聞いた話。
 Yさんは1月の寒い朝、旦那と祖父母の四人で一階の居間でテレビを見ていた。すると二階から一人娘の絶叫する声が聞えた。Yさんは慌てて娘の部屋に行くと携帯電話を握りしめた娘に「どうして起こしてくれなかったのか」と怒鳴り散らされた。今日は大学の試験の日だという。時計を見るとと八時四十五分を回っており、試験開始時間は九時半。どう考えても間に合わない。
 呆れたYさんは娘が着替えている間に、菓子パンとお茶とタクシー代を用意し、玄関に向かうと、着替えを済ませた娘が鞄を開けて受験票、筆箱、財布が鞄に入っているか確認していた。
「忘れ物したらあかんで」
「解ってる! それじゃあ、行って来る」
「落ち着いて行きや、事故したらあかんで。駅に着いたらこれでタクシー乗り!」
「ありがとう~、それじゃあ行って来る。」
「いってらっしゃい」
「あれ? お母さん、 いつも玄関に置いてる自転車の鍵知らん? どこやったん!」
「知らんよ、 そんなん」
「え~、 どこ~」
「あんたはもう何してんの~。 お父さん、鍵知らん?」
「知らんぞ、そんなん」
「お婆ちゃん、Y子の鍵知らん」
「知らんよ」
「お爺ちゃん、Y子の自転車の鍵知らん?」
「知らん」
「Y子の鍵知らん?」
「知らんで」
「あんた、もう一回落ち着いて鞄のポケットとか制服のポケットとか探してみなさい」
「あった」
「アホ」
 娘は一限目の試験には間に合わなかったが二限目の試験には間に合った。娘は帰ってくるなり今朝一つ気になった事があったという。娘が玄関で鍵を無くして慌てていた時、旦那と祖父母のいる居間の隣のキッチンのある部屋で、お母さんは誰と喋っていたのかと。旦那と祖父母も確かにキッチンでYさんが鍵がどこにあるか誰かにたずねていたのを見たというし、Yさん自身も誰も居るはずの無いキッチンで誰かに話しかけ、ちゃんと返事があったことだけ覚えているが誰もいるはずがなかったという。