応募作130

マルビル」
綾野祐介

 大阪に出張した時のこと。いつも定宿にしているホテルに部屋を取った。9時にチェックインし風呂にお湯を張る時間でメールに返信を終えて少し気を抜いた時のことだった。
窓際の小さなテーブルに足を上げて椅子に深く座った私の目の端に一瞬光が見えた。

「なんだ?」

 不審に思った私は少し開いていたカーテンを開けて外を見てみた。夜の大阪の街はまだまだ明かりがついているところも多いが、どうもその賑やかな場所からのものではなかった。

 その方向は向かいのマルビルだった。東京のマルビルは建て替わって丸くなくなってしまったが大阪のマルビルはその名の通りの丸い。どうも光はその方向からのもののようだった。

 それは何かの光ではなかった。マルビルを抱っこちゃんのように抱えて張り付いている男性の瞳だった。ビル全体を抱え込んで上へと昇っている。一瞬、その男と目が合った気がした。

 翌朝、私がホテルを出ようとするとすれ違った男の人から「昨日見てましたね。」と声をかけられた。

 私は聞こえないふりをして足早に通り過ぎた。私は二泊の予定を切り上げ、もう二度とそのホテルには泊まれない、と思った。