応募作111

「河内湾」

万年青屋

 

 地震の翌朝、起きてみると、町は水底に沈んでいた。
 はるか頭上で、日の光がゆらゆらと揺れている。ちょうど二階建ての屋根のあたりが水面なのだろう。あたりはふだんより薄暗く、青い光に満ちていた。
 雑居ビルの一つが三階建て以上ある。入り口が開いており、何人かが集まって、最上階の窓から身を乗り出していた。
 見渡す限り、穏やかな水面が広がっていた。西の彼方に島のようなものが霞み、東側を見ると山が迫っていた。
「東は生駒山やな、そのまんまや」
「それやったらあの島は」
「島とちゃうやろ岬や、あの方向は上町台地や」
「けど上町やったら、大阪城やビジネスパークがあるはずやろ」
「なんもあらへん。そもそもこのビルより高い建物がぎょうさんあるはずやのに、一つも見えへん」
「むかしの海かもしれへんな」
「海があったのは、五千年も前やないか。海面が今よりずっと高かったころや」
「縄文の海か、わしらタイムスリップしたんかな」
「それやったら、河内湾ちゅう立派な名前がある。ほんまの海や。上町の向こうで大阪湾に通じとんのや」
 茫然とした表情をうかべ、彼らは海を眺めていた。すると、遠くの海面で何か動くものが見えた。
 それは船のようだった。ものすごい速さで彼らの眼前まで接近してきた。音はしなかった。ヘルメットを被った男が乗っていた。
「あんた何ものや」一人が声をかけた。
「困りましたね、いいかげんにしてもらわないと」男は意外な答えを返した。
「そんな冷たい言い方はないやろ、わしらも困っとるんやから」
「確かにね。でも、毎年の繰り返しなのでね」
 戸惑いが広がるなか、男は畳みかけるように言った。
「大津波地盤沈下で大阪は海に呑まれて消滅、跡地は自然保護区になりました。ここがそうです」男は手を広げて示した。
「震災記念日になると、毎年亡者が現れる。あなたがたは死人なんです。百年も前のね」男は御札をぞんざいに投げつけると、振り向きもせずに走り去っていった。