応募作106

「大阪ラ・ボエーム

安藤麗

 

よくいう金の切れ目が縁の切れ目。ましてや相手が大阪の女性なら、僕のような貧乏画学生にはそろそろ愛想も尽きて当然、なのに、いつもこうして無報酬で絵のモデルを務めてくれる。
 今日の制作ははかどらなかった。夜も遅いし、諦めて切り上げようと思った。そして……
「ん、どうしたん?」
「いや……大学院入って、もうすぐ四年目だよね」
「やね」
「いまだ、画家に、なれない……僕はいつまでモラトリアムの院生続けるのかなって……続けるべきなのか、と」
「はやく画家になって」
 左手にはもう絵を描く意思が宿っていなかった。赤い絵の具を含めた筆が、ずっと虚空を彷徨っている。
「さっきから手、震えてんで? 輪郭線ガクガクになってるんちゃう? 初期の『クレヨン〇んちゃん』みたいになぁ」
「実家に帰るよ。不甲斐ない……画家にはなれない。諦めなければいつか夢は叶うかもしれない。でも、そう思っていつまで夢を追い続けていいのか。そろそろ君も嫌だろう? 才能のない、金のない、夢しかない、そんなヒモ男を養うなんて嫌だろう?」
 彼女は椅子の背もたれに掛けておいた自分の革ジャンを素肌に羽織り、腕を組んで目の前に迫った。
「金の切れ目が縁の切れ目と思ってるやろ。大阪の女やからって」
 画布に描いた彼女の表情はラファエロの聖母のようなのに、その上から覗く本物の彼女は、クラーナハの描くユディトのように冷徹で眼光鋭い。
 筆が手から滑り落ちた。
 はっとして筆を取ろうとすると、その先が画像の彼女の涙袋をかすり、そこから一直線に赤い線が滴り落ちる。
「金の切れ目は縁の切れ目ちゃう。本当に縁が切れるのは、あんたが夢を諦めた時や!」
 見上げると、彼女の両目から赤い涙が溢れ出していた。
 朝になっていた。いつベッドの中に潜ったのだろう。部屋を見渡すと画材道具もろとも彼女はいなくなっていた。
 とりあえず顔を洗おうと洗面台に向かった。鏡を見ると、やけに目が充血している。