応募作105

「四十九日のかさのもち」

松岡永子

 

 ご本家のひいばあちゃんが亡くなった。
 本家は古い家だ。たいした格式はなさそうだが、とにかく古い。小さい頃にはよく泊まりにいった。
 ひいばあちゃんはいつも一番奥の座敷にいた。
 ひいばあちゃんはぼくを特別に可愛がった。女ばかりの孫や曾孫のなかで唯一の男の子だったからか、それともほんの少し足が悪いこと―走ればわかるくらいだ―などを哀れんでかもしれない。
 夏休みに、集まった親戚のこどもたちが西瓜を食べるときなど、
「この子には種のないとこやってや。そのまま呑みこみよるさけ」
などと、切り分けているおじさんに指図した。
 二歳の時の話をいつまで言うんだろう、とぼくは内心うっとおしかった。隠居しても当主に口出しする年寄りはやっかいな存在だったのではないかと思うが、入り婿であるおじさんはいつも穏やかに応じていた。

 葬儀も盛大だったが、満中陰にもほとんどの親戚が集まった。さすがご本家。
 読経もおわり、大きな丸餅を当主が切り分け、人の形になるよう並べかえる。参列者で分けて食べるのだ。ふつうはお坊さんが切るものだとなにかで読んだが、本家では当主がする。
 おじさんは手順をひとつひとつ思い出すようにしながら、ゆっくりと進めていく。やがて、笠をかぶり杖をついた旅人の姿が現れてきた。
 こどもたちは、あの笠のところが食べたい、などと騒いでいる。ぼくも腰を浮かせておじさんの手元を覗き込んだ。
 後ろから声がした。
「この子には足んとこやってや。喰うたら丈夫になるいいよるさけ」
「わかってますって」
 いつものように穏やかにおじさんが応えた。