応募作88

「《はぶくの》駅の風景」

湯菜岸 時也

近鉄の羽曳野駅だと思って電車を下りたら、駅名は《はぶくの》で、駅員のいない無人
駅だ。思わず舌打ちが出てしまう。
 妙な駅舎で、プラットホームにドーム状のコンクリートの屋根と壁が被さった構造になっており、まるでトンネルの中に駅の建物があるようだ。構内は窓がなく、明かりは青白い蛍光灯のみ、雨漏りで壁が酸化して赤黒い縦線だらけ、それと所々で同じ色の大きなシミとポスターが剥げた箇所があって非常に寒々しい。なぜか錆と動物の脂が入り混じった異臭が鼻につき、目が痛くなるくらいだ。
 (お化け屋敷か)と、思っていると、山高帽を被った中年男が後ろに並んできた。
 その瞬間、いきなり床下から汽笛が響き、構内のベルがけたたましく鳴りだした。
 なんとホームそのものが動きだすじゃないか。白線に近い場所にいたので、驚きと反動で線路へ転げ落ちてしまった。
 尻を打った俺を尻目に、中年男を乗せたままプラットホームが走っていく。自殺行為だ。ベンチはおろか手すりも柱もないのに、あんな吹きさらしの場所にいたら、カーブのところで振り落とされてしまう。
 困った事に向こう側のプラットホームも動きだし、この駅は線路だけだ。
 外へ出るには次の電車が来る前に、車両の出入り口を通り抜けるしかない。
 戸惑っていたら、駅の前後にある踏み切りのシグナルが鳴った。危ないので壁まで走ったら縦線とシミの意味がわかった。
 引っかき傷と皮だ。壁際は線路との間隔が極めて狭く、電車が通過すれば、車両との間で体が擦れて、わずかな皮だけがザラついた壁にこびりつく。それがポスターが剥がれたように見えるのだ。
 助かるには所々にある横に走った亀裂に指を入れて、列車の屋根の高さより上に壁を登るしかないが、成功率は岩肌のハーケンみたいに残った無数の指が物語っている。