応募作84

「貴腐銀杏」

榛原 正樹

 

 十月の台風が過ぎ去った日の翌日、私は彼氏と大阪城の西ノ丸庭園を散策していた。
「おまえさ、『貴腐銀杏』って知ってるか?」
 彼が出し抜けに聞いてきた。
「何それ? 貴腐葡萄やったら知ってるけど」
 私は、一度だけ飲んだことがある死ぬほど甘い白ワインを思い浮かべた。
「秋はイチョウの木にたわわに実がなるやろ。その枝が台風なんかで折れたりすると、地面まで落ちんと途中で引っ掛かって宙ぶらりんになることがあるんや。ほかの実はそのうち熟して全部地面に落ちてまうけど、その折れた枝になってる実だけは成長が止まっとるから、落ちんとそのまま冬を迎えるんや。すると、その実は寒風にさらされ天日に干されて、やがてシワシワの干し葡萄みたいになる。この銀杏の種が絶品なんや。その見た目と味と希少さから、貴腐銀杏と呼ばれとる」
「へぇー、それだけの偶然が重なって出来るってすごいね。奇跡みたいやん」
 急に好奇心が湧いた私は彼に提案した。
「ねぇ、それなら実がなったイチョウの枝がぶら下がってないか探してみいひん?」
 私は、昔は火薬庫だったという大きな石倉の裏手にあるイチョウの大木を指差した。
 ちょっとした宝探しみたいな高揚した気分で、そのイチョウの根元に回り込んだ私たちの目の前に、異様な物体が現れた。
 太い木の枝から、女の人が首を吊ってぶら下がっていた。
 開いた口からべろんと舌を出し、あごに深く食い込んだロープはほとんど見えない。ワインレッドのワンピースが濡れた血のように光っている。台風で大量の銀杏が地面に落ちていたが、その場の臭気はそのせいだけではなかった。隣で彼が少し震えた声で言った。
「うわぁ……こっ、これやったら貴腐銀杏やなくて、『貴腐人』やな……はは……」
「あほ。脳みそ腐ったんか」
 私は、やおら携帯電話を取りだした。