応募作64

「黒いポルシェ」

葛本益人

 その車は、門真市内を走る私鉄の高架線路の下に停めてある。乗り捨ててあると言った方が正しいのかも知れない。長年の土埃が分厚くこびりついた黒のポルシェで、僕が知る限り十年以上そこにある。自転車通勤している僕はフェンス越しに毎日この車を目にしている。意識せずに通り過ぎる日もあれば、妙に気になって、まじまじと見てしまう日もある。
 去る五月、仲間うちで心霊写真が話題になり、秘蔵の写真を持ち寄る運びとなった。僕には所蔵の心霊写真など無かったが、あのポルシェの写真を撮れば何か写るかもしれない予感がした。
 穏やかに晴れた朝、コンパクトなデジカメを首から提げ、自転車で職場に向かう。いつもの通勤道。高架線路下のフェンス沿いに自転車を停め、緑色の網目の中にデジカメのレンズをくぐらせシャッターを一回切った。すぐさま小さなモニターで写真を確認した。埃に曇った黒いポルシェの正面が画像に納まった。モニターの中に期待したようなモノは写り込んではいなかった。「そらそうか、そう都合よくは、な」簡単な寄り道を終えて職場へ走った。
 そしていつも通りの業務だった。二つのことを除けば。仕事で車を運転しているとアクセルを踏む右足の甲に原因のわからない痛みがある。もうひとつは、ワイシャツの左胸ポケットに挿した三色ボールペンの、赤のインクがシャツを汚すほどボタボタと漏れてくる。
 この出来事を、朝撮影した黒いポルシェの写真に結び付けるのは少し短絡的かも知れないが、僕はあのポルシェから「余計な事はするな」と言われたような気がしている。
 黒いポルシェはF駅とO駅の間の高架下に、今もある。