応募作57

「善行」

鳥原和真

 激しく罵る声が深夜に聞こえ、戸の隙間から覗くと、父が暴れる祖父をベッドへ力づくで押さえつけている。そんな光景を何度も見た。祖父は、滲みだらけの禿頭を自分の両手で挟みながら、「出せ出せ、地獄だ、こんなかから地獄を出してくれ」目を血走らせ、狂ったように繰り返すのが常だったから。
 祖父が焼かれるのを待つ間、親類の誰もが清々とした表情で、故人の悪口を話していたのが印象的だった。気性が激しく、金に意地汚い祖父だった。晩年、認知症を患っていた祖父はせん妄が激しく、夢に地獄が出ると言っては暴れた。だから合邦辻閻魔堂を訪れたのだろうか。脳の病にご利益があるといわれていた。祖父が倒れていたのはその境内だ。
 最後は仏頼みだったのに、自分が仏になったな、いや、閻魔頼みか、と叔父たちは笑った。地獄に頭下げてたんやろ。
 随分酷い商売をしていたそうだ。首をくくった連中もいる。恨んだそいつらが、地獄で手招きしているのだと、母が憎々しげに話すのを聞いた。母を生んですぐに亡くなったという私の祖母も、だいぶ苦労を掛けられたそうだ。いったいあんなんのどこに惚れたんやろ。迷宮入りの謎や、そう首を傾げた母が見せてくれた写真には、長い黒髪を艶やかに垂らした美しい女性が微笑んでいた。そのことを思い出したのは、焼き終えた遺骨を前に、座禅した仏の形といわれる喉仏の骨を拾って、皆がどよめいたからだ。
 窯に入っていたというのに、箸の先で持ち上げられた小さな仏から細く光る髪の毛が一筋、すうと長く出ていた。その髪は、糸巻のように祖父の割れた頭蓋骨に絡まっていた。
 「救いの糸や」誰ともなく言った。
 目の前で髪はすぐ跡形もなく塵になった。
 カンダタのように祖父にもひとつくらい善行があったのか。ただあの祖父が、ちゃんと頭のなかの地獄から極楽に登りきれたのか、親戚のなかでも意見は割れる。