応募作33

「饗宴」

最寄ゑ≠

 すっかり人通りの絶えた道具屋筋の裏路地を、出刃包丁がきっこりきっこり歩いて来る。それを見付けた寸胴鍋がどんがらがんと大音声で呼び止めた。
「おお、出刃のお」
「これ、もうちっと静かに喋らんかい。茎子の芯迄じんじんしよるわ」
「で、首尾は」
「首も尾ぉも無い。が、まあ遣る丈の事は遣った」
「刺したか」
「物騒な事を言うもんやない。そもそもが大旦はんの遺言に何卒大事の黒茶碗を一緒に埋めて呉れと在ったのを、探し出せず儘にして居ったら見る見る商売左前。さて愈愈血眼に為って目っけ出し、やれやれ大旦はんも成仏やと、此れは理の有る話。併し黒茶碗、齢九十九を数え付裳に為る迄僅か数刻、永らく蔵で共に在った此奴を何とか物にして遣りたいと、此れは儂らの勝手」
「せやかて」
「其処で儂は考えた。どうか折半と云う事で話を呑んで貰えぬか、大旦はんは物分りの良い方で情にも厚い、況や重宝の茶碗の成就、否とは仰るまい。ところが若旦那も強情や、そない半端な事で傾いた店を立て直せるかと押し問答。其れが儂の思う壺、成る丈話を引き延ばし乍ら時が来るのをじいっと待つ魂胆よ。最早夜もとっぷり更けて辺りはしんと静まり返る、儂は若旦那とむっつり睨み合い、深更の鐘の鳴るぴりぴりした気配を窺うて居った。寺の坊主がせいっと撞木を引く頃合いを見計らい、かっと我が身を振り下ろせば見事黒茶碗は真っ二つ」
「何と」
「儂は片方を掻っ攫い、大旦はん案上成仏召されさいなら御免と逃げるが如くに店を抜けて来た」
「おお、よう遣った。流石出刃の大将、鮮やかな切れ口や。然し黒の、最前から吽とも寸とも」
「アホかおのれら、世に二つと無い名物をわやにしくさって」
「く、黒の。おおおお、おはようさん」
「こ、此れは此れは大旦那様。御機嫌麗しゅう」
「何が御機嫌麗しゅうや、さっからいたあい、いたいて煩てかな」

―かしゃん

 魂消た拍子に出刃包丁、うっかり半身の黒茶碗を取り落して仕舞いました。