応募作32

「戻りの橋」

ササクラ

 おじいちゃんとはね、橋向こうで出逢うたんよ。そう幸せそうに微笑んだ祖母を、思い出した。
 この辺は昔っから浪速の八百八橋ぃいわれるくらい橋が多ぅてな。今はそら八百八本以上あるけどな、そう呼ばれ出したころは半分もなかったんえ。せやけど橋の大半が、お上やのうて町の人が自分らのお金で掛けた橋でな。せやから、橋渡るときは気ぃつけなあかんえ。ちゃぁんと橋の名前が書かれとるか確認してから渡らな、帰って来れんようになるさかいな。え、おじいちゃん? おじいちゃんはな、お金持ちやったさかい、あたしを還してくれたんよ。ほら、町の人いうてもお金出すんはやっぱ豪商呼ばれる人らやろ。おんなじでな、神さんらも、お金持ちの神さんがむこう側からこっちに橋かけて来はんねん。なにしに? さあ、なにしにやろな。遊びにかなぁ? 神さんからしたらこっちん世界もおもろいんかもしれんなぁ。せやけどずぅっと橋残しとくわけにもいかへんやろ。神さんのご用事が済んだら橋は消えてまうんよ。あたしんときは、ほら、おじいちゃんが優しいひとやったさかい、あたしと一緒にこっちん戻って来てくれはって。え? せやな。おじいちゃん、神さんみたいやなぁ。
 ふふ、と吐息で笑った祖母を、ひどく恋しく思う。
 わたしの手にはサービス圏外となったスマートフォンが握られている。いつもの川辺の通学路だ。それなのに雑踏はどこへいったのか、周囲には人影ひとつない。色彩も灰を被ったようにさえない。なによりも、前にも後ろにも、ついさっき渡ったはずの橋が見当たらなかった。木々などないのに、さわさわと葉が掠れる音がする。のっぺりとした川面に一面、空っぽの笹船が浮かんでいた。その向こうで見慣れたビル群が煙のように揺らいでいる。
 おじいちゃんは優しいひとだった。だから、おばあちゃんのために私財を投じて戻りの橋を掛けてくれた。
 背後から、粘った水音が近付いてくる。