応募作29

「遺りもの」

侘助

 通路が所々狭くなっているので気をつけてくださいね。物が飛び出ていたりするで。
 全部で万は下らないでしょうね。小さい物だと箸置きとか針と糸とか。大きい物ですと自動車まではいかなくても、自転車とか大八車なんかはありますね。流石に消え物は保管していませんが、ここには舞台で使う小道具はおおよそ何でもあります。
 それで何でしたか。ああ。傘でしたね。
 こちらがその、浪花の人情喜劇王があの舞台で使った番傘です。多少草臥れてますが。
 ご存じとは思いますが、それはそれは見事な芸でした。片手で和傘を開くのに、竹刀のように振り下ろして勢いで開くやり方は誰でもやります。歌舞伎の見得でもありますね。
 先生はそうじゃなかった。閉じたまま普通に差すときのように持って、気持ち肩を内側に入れながら曲げた肘を勢いよく下げて、頭の上でぱっとやる。まるでバネ仕掛けのジャンプ傘ですよ。それは見事に開いたもんです。あんなことする人は他には居ません。
 本当にいい時代でしたね。同じ新喜劇と名乗っていても、吉本さんのとはまた別もの。人生の機微。涙があってその中に笑いがある。浪花の心の故郷ですね。
 先生も随分と破天荒な生き方をされました。春団治と通じるものもありますな。惜しむらくは先生の芸を継ぐ人が出なかった。虎の前に虎なし虎の後に虎なしと言いますか。
 それで何をお訊きになりたいんでしたっけ? ああ。この番傘がどうして鎖でぐるぐる巻きにされて南京錠を掛けられて、更に生玉さんのお札まで貼られている理由ですか。
 雨の日にですね。先生が傘の芸を披露したホンを舞台に掛けるとですね。懐かしく思うのかも知れませんなぁ。例の花道の場になると、こいつがバンと開くんです。
 まぁ、この一本ならいいんです。流石にここに収めてある百本は下らない傘が、それに釣られて一斉に開くと何かと大変でしょう?