応募作25

「バス、来ぇへんで」

船生蟹江

 暑い夏は嫌いだ。特に胸が蒸れてしょうがない。コンプレックスの大きな乳房を包む布も、胸の突出をどうにかしたくてできた猫背も、鞄を抱え込む立ち方も。全てが悪循環を生むものだった。
「暑いなぁ。バス、はよ来んかな」
 時計を見ると、バスは停留所をとっくに発車している時間だった。コンクリートでじりじりと炙られる毎に、いら、いらと焦らされていく。そんな中、なんだか生臭いビル風が背後を通った。いやな風だなと思いながらも、視線はバスが走ってくるはずの道路から離すことなく。過ぎゆく車の背後に高い車体があることを期待し続け、待ち続けた。
バスのような車はいくら待っても見えてこず。遅すぎるわ。そう思ったときだった。
「バス、来ぇへんで」
 間近で、女の低い声が聞こえた。周囲を見まわすが、それらしい声の主はいなかった。それでも、また聞こえるのだ。
「バス、来ぇへんで」
え、なに。どこから聞こえるん。至近距離にいるはずの声の主。だが、私の周りには誰もいない。それなのに聞こえ続ける声は、恐怖を通りこし、いったい何者が発するものなのかと……正体を暴きたくてたまらなくなった。
(落ち着こう、次はよーく、聞いてみよう)
神経を耳に集中した。
「バス、来ぇへんで」
きた! 今度は発信源の位置が正確にわかった。しかし、せっかくわかった声の主の位置に私は恐怖を覚えた。
(まさか、なんで……そんなとこから)
私は恐る恐る、姿勢を正し、胸元の薄い布をめくった。そこには、白でそろえた下着と、日焼けしかけたデコルテと、下着でできた胸の谷間と、谷間に挟まれる唇。唇。
唇が、なぜそんなところにあるのだろうか。それも、オレンジ色のグロスを塗ったしわくちゃの唇だ。そんなものが、なぜ私の胸の谷間にあるのだろうか。食い入るように見つめる私の注視に気を良くしたのか、唇はまた
「バス、来ぇへんで」
と告げ、今度はにたりと笑うのだった。