応募作24

「鞄の持ち主」

船生蟹江

 電車に乗っていると、大学生くらいの若い子が声をかけてきました。
「あのぅ。おじいちゃん、ちゃんと家に帰れましたか」
どういうことかと聞くと、どうやら私が荷物の整理をしようと椅子に並べていた革の小さな鞄を見て話しかけたのだとか。なんでも、この鞄の持ち主と昨日、天王寺駅で会ったというのです。
「僕、一心寺さんに向かってたんです」
歩いていくかバスを探すかと天王寺駅で迷っているうちに、老人に声をかけられたのだそうです。
「一心寺さんに行きたいんやが、なんやここ、ほんまに天王寺かいな」
ひどく老いてはいるが、着ているポロシャツも綿のパンツも大事に使い続けている上等なもので、お洒落なじいちゃんやなと思ったとか。特に洒落ていたのは脇に抱えた革の鞄。長年使い続けたから出される柔らかさと光沢とレトロなデザインはとても目を惹かせるもの。まさに私の持つ鞄そのものだったそうです。
「僕も一心寺さんに行くとこなんで、いっしょに行きましょう」
 一人で歩かすには心もとないくらいに老いた男性だったので、その子はタクシーの相乗りに誘いました。すると老人は一心寺に着く直前、運賃としては充分過ぎるお金を、礼だと言って渡してきたといいます。断ったけれども、譲らず。タクシーをいつまでも停めておくわけにもいかず、観念してひとまず受け取り。運賃を支払っているうちに……老人はいつの間にかいなくなっており、お寺のどこを探してもその人は見つからなかったとのこと。
「これがその三千円です」
おじいちゃんに返しといてくださいと渡されたお札の顔は、三枚ともが擦り切れそうな夏目漱石
「ああ。鞄に入れとったお金、それでなくなっとったんや。お義父さん、先に行ったんやね。」
不思議そうな顔をする若者に、私は鞄の横箱を指さしながら言いました。
「この鞄の持ち主、これから一心寺さんで供養してもらうねん。鞄と一緒に」
 骨仏になるん、楽しみにしとったから。