第二回「大阪てのひら怪談」酉島伝法賞受賞作品

作品タイトル:優先座席 
筆名:矢口さとり

「お兄ちゃん、あんた何処まで乗ってくん?」
 混み合う電車の中でも、大阪のおばちゃんの声はよく響く。
 地声がでかいのもあるが、あの独特のイントネーションと、周囲の人間全てが聴衆であるかのような自信に満ちたテノール寸前は、強引に聴覚に押し入ってくる。
 それを拒めた試しはなく、今も車内の騒めきや線路の音も全て無視し、一方的と思しき会話は背後から響いていた。
「あっらー、えらい遠まで行くんやないの! そんなんやったらうちが座っとったらあかんやん、ええから座り座り! おばちゃんもう降りるさかいに誰かに取られるくらいやったらお兄ちゃんが座ってしまいないな! 怪我しとるんやし! 知っとったか? 1円拾ったら人に席を譲ってもらえるだけの運を拾ったことになんねんて! お兄ちゃんそんだけの運はあるんやから心配することなんもないって! 六文の心配どころやないやん! せや、先も長そやし、飴ちゃんあげよか! ええのええの、遠慮したらあかんて、十万億土やもんなぁ、ほんま遠いわなぁ、あ、おばちゃんもうここで降りるでほなな! 元気でな!」
 停車と同時、乗降口に押し出される人と共に、騒がしい声は遠のいていく。
 乗客が減れば、いつもの癖で空席はないかと周囲を見回し、人と人との隙間に、ぽかりと一人分、座席が空いているのに気付いた。
 近くの人間が、腰を下ろす様子はない。
 これ幸いと、空席の前に移動してから、カラフルなピクトグラムがプリントされた座面に、優先座席だと気付く。
 濃紺の生地に青色の妊婦や緑の老人、赤い親子が、等間隔に配置された座面の上に。
 黒飴が一つ、置かれていた。
 その真上、右足に包帯を巻き、怪我人の姿を模した黄色い人型には、何故だか、首がなかった。