受賞作:佳作


作品タイトル「百物がたりをして富貴になりたる事」 
筆名:東大谷高子

 

 万策尽き、明日は首吊りと思いつめていた冬の夕刻、「百物語をしたら、富貴になれますのやて」と言い始めた番頭に、旦那は「アホ抜かせ」と力なく呟くだけだった。もう叱る気力もない。二百年続いたお店が潰えるのだ。あの世に行ったとして、御先祖たちにどう申し開きをすればよいのか……。

「ものの本にそう書いてましたんや。アホらしいのは承知の上だす。せやけど、わてら商人でっしゃろ。最後まで悪あがきしまへんか」
奉公一筋に生きてきた男の、涙ながらの言葉に心が動いた。人生を戯れ事で締めくくるのも一興だ。旦那は軽く頷き、前置きなく語り始めた。「お前、錦城に『化け屋敷』と呼ばれる場所があるのは知ってるか……」
 一度始めると止まらなかった。十話二十話と重ねるうちに夜は更け、寒さいや増すばかり。しかし、二人は憑かれたように語り続けた。「大物の浦には平家の怨霊が出るそうな」「平家ゆうたら、都島には鵺塚が……」
気がつけば、灯芯が尽きかけ、番頭が継ぎ足そうとした。だが、手元が狂ったのだろうのか。炎がふっと消え失せた。
部屋が闇に包まれた、その瞬間。
 ドターン! 屋敷を揺るがす轟音が響いた。二人は部屋から庭へと転び出た。その先に、闇より黒い影が蹲り、呻きながら蠢いていた。
「だ、だんさん。あ、あれ……」寒さと恐怖で歯の根の合わない番頭の言葉を遮って、それが叫んだ。「やめい! 吾は怖い話は嫌いじゃ!」雲が切れ、満月が影を照らした。貧乏神以外の何者でもない男が、そこにいた。
「こんな家はもう真っ平じゃ。吾は往ぬ!」
虚空高く飛び去る後ろ姿を呆然と見送った翌朝。踏み倒されたはずの貸付金が返ってきた。店は息を吹き返し、危機は半年で去った。
 
「番頭はん、あんたの言う通りでしたな」旦那は満足気に言った。「商人は最後まで諦めたらあかん」。番頭は莞爾として答えた。「百物語が富貴を呼ぶ、いうのもほんまでしたな」