応募作91

「閉店セール」

司條由伊夏

 

 いつでも閉店セールという店が、大阪にはある。「もうあかん、閉めます」と言いながら何年も何年も閉店セールを続け、「いつ閉めんの」と聞けば、「夜には閉めとる」と返されるような店が。だから本当に閉店してしまったのには驚いた。店のオヤジさんが亡くなったのだそうだ。「俺はこの店と一緒や。もうあかん」「いつ死んでもええ」「早よ死にたいわ」が口癖で、なかなか死にそうにない人だったのに。
 少しして店の工事が始まった。新しい店がオープンするらしい。しかし開店してまもなく、行われていたのは「開店セール」ではなくて、やはり「閉店セール」なのだった。
 店主はオヤジさんの友達だった人で顔見知りなので、わけを聞いてみた。
「ああ、ここは昔からいわくつきでな。閉店セールの場所なんや。新しかろうが古かろうが、必ず閉店セールで営業せなあかん。こんなとこで開店セールなんかやってみ、三日で潰れるで」
「そんなことってあるんですか」
「わしも半信半疑やったわ。せやけど、あいつがあんなことになってしもうたから……信じへんわけにはいかんわ」
「オヤジさん? 何があったんです」
「……あいつな、孫が生まれたんや。息子んとこ、結婚してから十年以上もできんくてな。もう諦めてたんが、いきなり。せやからもう喜んで喜んで……うっかりと言うてしもうたんや。あんなことさえ言わんかったらなあ」
「なんて言うたんです」
「この子が大きくなんの見たいなあ。長生きしたいなあ、て」

応募作90

「追憶からの来訪者」

湯菜岸 時也

土曜日の晩、十三のラウンジで子供の頃、こんなTVドラマがあったのを思い出した。
 殺人事件に巻き込まれ記憶喪失になった主人公の青年が、唯一、覚えているオレンジの帽子を被った女を探して彷徨うのだが、その行く先々で殺人が起きて、謎が謎を呼ぶ展開になる。最後は真犯人が崖から身投げして、女の正体は明かされないまま唐突にドラマは終わってしまう。
 ひどく女が怖かったのを覚えているが、まあ大人になれば、子供の頃の恐怖など吸血鬼やミイラ男と同じでノスタルジーだ。
 そうやって昔を思い出しながら、カクテルを楽しんでいると、いつの間にか隣の席に、そっくりな女がいた。
 帽子を目深に被っているので顔がわからないが、血管が透けるような白い肌とクリムゾンの唇――記憶と寸分違わない。
 柑橘系の『スコーピオン』がアメーバみたいに女の喉へ流れていく。
 嫌な予感がした。危険な香りには鼻が利くほうだ。支払いを済ませて外へ出たら、さっきまで星空だったのに傾いた太陽に照らされて、街が茜色に染まっていた。 
 後ろを振り向くと店が消えて、見知らぬビルの屋上にいる。スマホを見たら金曜日だ。
 気づけば着ている服も違う。時間をジャンプした気分だ。時計が壊れてなけりゃ、ほぼ一週間分の記憶が消えた事になる。
 スマホを調べてみたら、ちゃんと出社しているのがうかがえる。でも覚えがない。
 まるで悪夢だ。弱気を噛み殺して、震える足で螺旋状の非常階段を降りていたら、踊り場で女が血まみれで死んでいた。だが別人だ。ルージュの色が違う。そう見抜いた瞬間、どこかの窓から女の悲鳴が聞こえた。
 だがマンションの部屋へ逃げるのはNGで、ドラマじゃ悪徳刑事が待っている。財布を調べたら持ち歩かない額の札とカードがあった。軍資金はある。ならやる事は一つだ。

応募作89

「新千里ムーンラプソディ」

湯菜岸 時也

 

やわらかな日差しを浴びた空気を散らし、肌に刺す冷気を含んだ疾風が路地から吹きあ
げて街路樹を震わせる。遠雷が聞こえた。
 と、思ったら、救急車のサイレンの音が団地内に轟いた。今年は老人の急病が多い。
 友人は「高齢化社会だもの」と、あきらめ顔だが、向かい側の棟では孤独死した老婦人が見つかったりして、日々の生活さえ、不安と背中合わせだ。
 妻に先立たれて一人暮らし、週二の契約で来てくれるホームヘルパーから聞いた話だと、老人の行方不明者も急増してるらしい。
 「若者の老人狩りだといいますよ」
 なんて言われて、ひやりとする。
 これには訳があって、半年前、友人とのゴルフの帰り、深夜の0時くらいだったか、酒飲み運転で、ついブレーキとアクセルを踏み間違えて、高校生くらいの小僧を轢いてしまった。幸い目撃者はいなかったが、小僧がキレて「殺す!」と叫び、上着からナイフを出しよった。その時だ。内ポケットから幾つかの地味な財布と一緒に障害者手帳が落ちたんだ。いっぺんで怒りが沸騰したよ。
 「けしからん! けしからんぞ!」
 で、トランクのゴルフで応戦して、なんとか二対一で生存競争に勝利した。
 そのあとは箕面の山奥で、ペースメイカーがぶっ壊れるほどスコップで穴を掘った。
 クズは土に返るべし。人の命は一億円の時代というが、そんなの偽善だよ! わしらは雇用を生み、納税を続けた国の功労者だ。せっかく真面目に生きたのに、面白半分に人生を潰されるなんて理不尽すぎる!
 それからだ。小僧の祟りか? 老若男女、無差別に人が憎くなる。小便と同じで辛抱できん。腱鞘炎になるくらいパターがフル稼動だ。新聞だと警察は犯人を若者と考えているから今のところ捕まる心配はない。孫の結婚が近いから臨時収入は大歓迎だ。ただ膏薬と健康ドリンク代がやたらと嵩むのが痛い。

応募作88

「《はぶくの》駅の風景」

湯菜岸 時也

近鉄の羽曳野駅だと思って電車を下りたら、駅名は《はぶくの》で、駅員のいない無人
駅だ。思わず舌打ちが出てしまう。
 妙な駅舎で、プラットホームにドーム状のコンクリートの屋根と壁が被さった構造になっており、まるでトンネルの中に駅の建物があるようだ。構内は窓がなく、明かりは青白い蛍光灯のみ、雨漏りで壁が酸化して赤黒い縦線だらけ、それと所々で同じ色の大きなシミとポスターが剥げた箇所があって非常に寒々しい。なぜか錆と動物の脂が入り混じった異臭が鼻につき、目が痛くなるくらいだ。
 (お化け屋敷か)と、思っていると、山高帽を被った中年男が後ろに並んできた。
 その瞬間、いきなり床下から汽笛が響き、構内のベルがけたたましく鳴りだした。
 なんとホームそのものが動きだすじゃないか。白線に近い場所にいたので、驚きと反動で線路へ転げ落ちてしまった。
 尻を打った俺を尻目に、中年男を乗せたままプラットホームが走っていく。自殺行為だ。ベンチはおろか手すりも柱もないのに、あんな吹きさらしの場所にいたら、カーブのところで振り落とされてしまう。
 困った事に向こう側のプラットホームも動きだし、この駅は線路だけだ。
 外へ出るには次の電車が来る前に、車両の出入り口を通り抜けるしかない。
 戸惑っていたら、駅の前後にある踏み切りのシグナルが鳴った。危ないので壁まで走ったら縦線とシミの意味がわかった。
 引っかき傷と皮だ。壁際は線路との間隔が極めて狭く、電車が通過すれば、車両との間で体が擦れて、わずかな皮だけがザラついた壁にこびりつく。それがポスターが剥がれたように見えるのだ。
 助かるには所々にある横に走った亀裂に指を入れて、列車の屋根の高さより上に壁を登るしかないが、成功率は岩肌のハーケンみたいに残った無数の指が物語っている。

応募作87

「池に映る」

久遠了

 

 春には見事な桜で賑わう「いわたちばな公園」は、閑静な住宅街にあった。遊歩道に囲まれた大きな池があり、場所に不似いな「地獄池」の名で呼ばれていた。
「古来から地獄と呼ばれる土地は、温泉や炭酸を含む水が湧いていることが多かったようですね」
 私の話を聞いていた古老がうなずいた。
「さいですや。ガスを出す湧き水で鳥や虫が死ぬ。地獄の由縁やね」
 いろいろな話のあとに、古老は思い出したように言った
十五夜の晩に地獄池には行ってはいけんと。特に神於山が正面に見える場所に立ってはいけん」
「なぜです?」
 私の声に古老は謎めいた笑みを浮かべた。
「さて…… あれも地獄かもしれしまへんや」
 それが何かを古老は語らなかった。
 私は十五夜を地獄池で迎えることにした。不遜な行いを詫びるため、神於山神社の参拝を早々と済ませた。
 十五夜の夜。公園には人影はなく、虫の音だけが聴こえた。
 天空の光に、気がつくと私は地獄池の上空を凝視していた。
 そこには、煌々と照る月を背にした荘厳な社があった。白い薄衣を着た無数の何かが、社の前に立つ朱の鳥居に向かっていく。鳥居を抜けたものは輝きを増してから、社の中に消えていった。
 ふと地獄池の水面に目をやった。
 その光景が、私の魂を凍らせた。
 水底に小さな社が見えた。鳥居はなく、ただ天空の社が映っているわけではなかった。美しい社ではあったが、それは見かけに過ぎず、書割のような空虚さを感じさせた。
 灰色や黒い衣の薄汚い何かが、社に向かって昏い水の中を堕ちていく。たぶん永遠にたどり着くことはない。社までの間には茫漠とした空間があるだけだ。
『ああ、これもまた地獄なのかもしれない』
 私が悲嘆にくれていると、遠間から近づいてきた雲が月を隠した。
 いつもの風景が戻った。
 再び目を移すと、地獄池の水面には風で生じた波紋がただ流れているだけだった。

応募作86

「難波恐怖体験」

前 順平

 

それはハロウィンの日に起きた出来事だった。
ひっかけ橋で私は声をかけられて、ほいほいとついていったのが間違いだった。私は魔女のコスプレを、隣に寝ている彼は、ねずみ男のコスプレをしていて、私たちは今夜出会ってワンナイトラブを楽しみ、サヨナラするはずだった。ねずみ男の姿をしているだけあって、痩せ型でひ弱な男だった。
ラブホテルはどこもいっぱいでやっと見つけた小汚い部屋は電球が切れていて薄暗く、コウモリが住んでいそうな感じがするほど不気味だった。長居は無用だったので「ほな帰るね」と言った途端、眠っていた彼が目ん玉をひんむいて「お前だけ生きて帰れると思うなよ、死ね!」と首を絞められた。とてもひ弱な男に出せる力加減ではなかった。「離してんか!」私は必死に抵抗したが、とてつもない腕力で押さえつけられる。「グポグポ。溺れる溺れる溺れる……お前のせいやろが」何を言ってるのかまるでわからない。何かに取り憑かれているとしか考えられない。私は近くにあった枕を武器にして男を叩いた。しかし男はビクともしない。苦しさのあまり私は手段を選ばず、電気スタンドを手にした。それをおもいっきり男の頭に叩きつけた。「なにするねん痛いやんかお前は俺を何回殺す気や」男の眼球は飛び出していた。飛び出した目玉は私の方をじっと見たままだった。戦慄が全身を駆け巡り力が抜けていく。「離して離してはな……してんか」意識が遠のきそうになった瞬間「……お前やない」と首元の苦しみがなくなった。私は慌てて部屋から逃げ出してなんとか命だけは助かった。
彼に取り憑いた霊が殺したかった人は一体誰なんだろう。そして彼はなぜ彼女に殺されなければならなかったのだろうか。
久しぶりにひっかけ橋の上を通った時にふと思い出したのだった。

応募作85

「心霊スポットの噂」

宝屋

 

関西では会話の語尾に「知らんけど」とつける。これはほかの地域の人からしたら先ほどの話の真偽が混乱してしまうようでとても嫌われていた。

大阪の繁華街に割と有名な心霊スポットがある。しかしながら、「友達の誰某の知り合いが赤い女を見た」や「学校の先輩のいとこのお兄さんがここで老婆が追いかけられた」と幾多もの噂が先走りして結局分からずじまいの場所だった。

「ここでな、昔痴情のもつれで喧嘩したカップルがおってな、女が彼氏突き飛ばしたらな、ちょうど噴水広場の噴水のヘリに頭ぶつけて打ち所悪くてそのまま死んでしもうたんや」

そう言って隣に座っていたちょっと怒り肩と見まごう肩パットが入った派手な紫色のスーツ着た若い兄ちゃんが館内禁煙にもかかわらずプカプカとタバコをふかしながら語りかけてきた。

「俺のマブな、もーヤキモチ焼きでヤキモチ焼きで。隣に座ってたネェちゃんに喋っただけでコレや」

時間が経ったのか赤黒いねっとりした液体が兄ちゃんの後頭部から肩にかけてついていた。
ここの噂って確か赤いコートの女だったのでは?と兄ちゃんに聞くと、

「ああ、それ彼女ちゃうかなー。知らんけど」

そう言って目の前で消えた。
結局、真偽はわからずじまいだ。