応募作23

「地下三階…」

花月

 土佐堀川を背にして建つ古いビルの8階が事務所でした。
ホワイトボードに書かれた帰社時刻は
未定。
〆切近い営業社員は皆いつものことでした。

陽が落ち 外はすでに暗い。
「8階事務所出ますー営業は帰るのかどうかわからんし鍵閉めます。」
地下2階の管理室に連絡をいれると
「了解ですーあとで確認しますーお気をつけてー あっ今夜は×××の日やから右側のエレベーター乗って下さい。」
何の日?聞き返すこともせずわたしは
事務所の鍵を閉め エレベーターの下向き三角を押した。
古いビルのエレベーターはゴーンと音をたて動きだす。
もうすぐ8のランプが点くころ
エレベーターホールの電気を消した。
闇。
非常口の緑色と、階に着いたのを教える8のオレンジ色。
古いビルのエレベーターは すべてがゆっくりとしていた。
エレベーターが開き ホッと乗り込み
北浜の駅に続く通路に近いB1を押す。
B1を通過しB3…
えっ?B3?
エレベーターが開くと そこは…
川の底 …?
泥の中…?
無音は耳が痛い
先の見えない灰色でした。
閉じるのボタンを必死に連打し、
やっと閉まると 震えて上手く押すことができない指を握りしめ B1を押し続けた。

雑用と電話番がわたしの仕事、気楽なもんです。
定時には事務所を出ます。絶対に。

退職してから すぐに会社は移転したようです。
30年経ちますものね。 このあたりのビル街の雰囲気も変わりました。

あのとき
エレベーターに乗り込んできたモノは、今もわたしのうしろに居てます

応募作22

「ゆでだこ」

泰子

 よく晴れた日曜の朝、いや、もう十一時すぎか。彼女が台所でばしゃばしゃ
「朝から何やってるねん」
黒門市場で買うてきた蛸に塩すりこんでるねん。このねばねば、塩で揉んでから茹でんと綺麗に茹で上がれへんのよ」
「その蛸何にすんのや、今晩のおかずか?」
「今日エリちゃん家で蛸パするねん女子会やねん」
(行き遅れの女子会か?)っていう言葉をすんでのところで飲み込んだ。
 そんなこと言うたら「あんたが結婚してくれへんからやろ!」と逆ねじくわされる。くわばら、くわばら。(まだ自由でいたいんや)
二度寝するわ」よいしょ、と布団に入る。
 暗い海を下へ下へと落ちる夢を見た。
 底に着いて俺は彷徨っている。何か探しているのだが、何んやったかいなあとあせる。傍に壺が転がっていた、弥生式土器みたいな壺や。
「蛸壺ちゃうやろなあ」さっき蛸見たからか、メンタル百%やな。
 中からにゅるっと赤黒いもんが出てきた。やっぱり蛸や。
 蛸の足が壺の入り口を掴んで、にゅうっと頭を出した。金の縁に黒の線目がぎろっ、目が合ったやばい、俺は走った、走った。でも、何でやばいんやろ。
 海底は砂で走りにくい、蛸の触手が体に触る、にゅるっねばねばにゅる、よっしゃねばねばをすり抜けた。はははは楽勝やで。ちゅばっ。しまった~
蛸に吸盤が有るの忘れてた。喰われる~。ドボン!
 目が覚めた。良かった~死ぬかと思った。
 あれ?まだ水の中や、しかも鍋の中。うそやろ、おい。
 おいおいおいおい俺はここにおるで。
 火ぃ点けたらあかん。おい!助けてくれ!結婚したるから!
「よう暴れよるなぁ」
 覗き込んだ俺の顔が、金縁の目でにいっと笑った

応募作21

「お好み焼き屋」

泰子

 長い間の不倫がやっと清算出来たと、知り合いがお祝いの席を設けた。
 お招き頂きいそいそと出かけて行った。
 通天閣下でお好み焼きの店をしている女将だが、馴染みの客とねんごろになって久しい。相手の岡田さんは俺も見かけたことがあるが、押し出しの立派な五十がらみの旦那だ。ぽっちゃりした顔の細い目が人懐こい男だが、その顔に似合わないごつい金の四角い指輪が印象に残っている。 
「食べちゃいたいくらい好き」って言っていたのに。
 どんな修羅場が有ったか知らないが、お祝いと言うからには大円団で別れたのだろう。
 暖簾をくぐると客は居なかった。俺一人なのか?
 ほかの人は遅れるので先に焼いてくれると言う。生ビールと枝豆が出てきて
早速肉を焼いてくれた。鉄板の上で肉がジュウッという度に、まわりの脂身がレースのフリルの様にぷるぷる震える。
「ええ肉はこの脂身が甘くて美味しいんや」言いながら俺はじゅるっと唾を飲み込む「しゃあけどこの肉、脂身が多すぎへん?」
「腹身やからね」と女将。
「ちょっと色も悪いわ」文句を言う俺に
「肉は腐る手前が熟成して一番美味しいんよ」
「そやけど、お好み焼きってよう言うたもんやねえ。好きなもんを焼けるやなんて幸せやわ」酔ったのか女将はとろんとした目で俺のせりだした腹を見ながら「今夜は泊まっていってもええんよ」と唇をなめた。
 色っぽい女将の色香に、いつもの俺なら邪な気持ちを持っただろう。
 ゴロリ。
 だが今、肉と共に俺の口の中にあるのは確かに指輪だ、舌でなぞる。四角い。「あっ!」着信のあったふりをして、笑顔をひきつらせながらゆっくりと
外に出たとたんダッシュで駅に走った。
 昨夜、岡田さんが情けなそうな顔で夢枕に立ったんはこれやったんか。

応募作20

「路地裏の蛸」

 泰子

 

 ぽとん。
 なんや?
 心斎橋筋の阪急百貨店前を歩いていると、目の前にたこ焼きが落ちてきた。
 周りを見回すが、たこ焼き屋もたこ焼き食いながら歩いてる奴もおらん。
 アジア系の外国人が、わあわあ解らん言葉で喋りながらスーツケースを引っ張って歩いているだけや。そんならこのたこ焼きはどこから湧いて出たんや?
 ぽとん。
 2メートルほど先にまた落ちてきた。
 上を見上げるが、秋の清々しい青空が広がってるだけや。
 ぽとん。
 誰も気が付いてないのか?
 それとも俺だけに見えるのか?
 だんだん側道に向かって行く。
 はは~ん、これは俺を誘ってるんやな。
 ぽとん。
 狭い路地の前に落ちた。なんや、受けて立ったろやないか。
 ぽとん。   
 路地を入ったすぐのところに落ちた。
 腕に自信のある俺は力強く一歩踏み込んで叫んだ
「誰や!」
 うわっ!なんやこれデカい!蛸や!にゅるん、大きな足に捕まった。逃げよ思ても次から次から足がやってきよる。
 ゴメン!堪忍や勘弁して!あかん!
 ばきばきじゅるじゅるぐりんぐりん ゴキッ!
「サッキカラ、アノロジニヒトガハイッテイクヨ」
「ナンカ、サプライズアルンジャナイ?イッテミル?」
「アノ、マルイノニ、ツイテイッタヨ」 
「アレ、タコヤキヤ」
「タコヤキッテ?」
「タコヤイテル、オクトパス」
「オオ!オクトパスッテ、アクマノツカイ。コワイ!コワイ!ヤメトコ」

応募作19

「肉」

最東対地

 今から十数年前の話。
そびえ立つ通天閣を囲む、浪速の町・新世界に行った時のことだ。
今ほど外国人でごった返していなかった新世界は、賑やかではあるものの汚く、小便の臭いとどて焼の匂いが入り混じった場所だった。
特にジャンジャン横丁を抜けて動物園前駅へ続く高架下は酷いものだった。
酔っ払いと日雇い労働者で溢れており、どこから持ってきたか分からない小物を広げて商売をしているおばはんもいた。
治安も当然のように悪く、チャリンコでふらふらと行きながら通りがかりに暴言を吐く男や、やたらと通りがかりの人間に声をかける老人もいた。
それでも現在と変わらないのは、新世界の名物が串カツであるということだ。
大学生だったわたしは友人と、ひやかしがてら串カツを食べに行った。そして、わざわざボロボロで胡散臭い、客も日雇い労働者ばかりが集っているような狭い店に入ったのだ。
怖いもの見たさと、命まで取られるようなことはないという、根拠のない安心感で入ったその店のメニューは変わっていた。
『牛肉』、『豚肉』、『鶏肉』、『肉』
――……肉?
「おっちゃん、この『肉』ってなんなん」
「あー? 『肉』は『肉』やないか。なにいうとんねん」
店のおっさんに聞いても埒があかないので、隣で『肉』串カツをがっついている客に聞いてみた。
日焼けでボロボロになった真っ黒い肌と、伸びたい放題の髪と髭。よれよれのシャツの襟もとが黒く変色している客のおっさんはにやりと笑って言った。
「兄ちゃん、それはな、知らん方がええやつや」
くちゃくちゃと音をたてて頬張る『肉』が、おっさんの口から覗いていたことだけは鮮明に覚えている。
現在、この店はもうない。

応募作18

「智子」

最東対地

 松島新地という色街があるらしい。
「あるらしい」としたのは、わたし自身聞いた事がなかったからだ。飛田新地は今や観光地として有名で、関西の男で知らない者はいないだろう。
しかし、飛田新地以外の色街があるなど考えもしなかったわたしは、好奇心と興味に負けて一度行ってみようと考えた。
カーナビにネットで調べた住所を入れ、車で走りながら高鳴る胸を抑えた。
『目的地は右側です』
突然のアナウンスにわたしは跳び上がりそうになった。普通なら目的地までに『〇〇を右方向です』や、『このまま道なり〇キロです』という途中経過のアナウンスがあるはずだ。
それらをすっ飛ばして突然『目的地は右側です』と鳴った。驚くのも無理はない。
松島新地は【JR九条駅】降りてすぐにある。にも関わらず現在地を見ると【大阪市西区新町】となっていた。
そんな馬鹿な、と入力した目的地を確認する。すると不思議なことに目的地は松島新地ではなく【新町遊郭】と表示されている。
新町遊郭? 輪をかけて訊いた事のない地名だ。
気味が悪くなり、興を削がれたわたしは引き返して自宅に帰った。マンションの玄関をあけると妻が「おかえり雅治さん」と出迎えてくれた。返事に困りながらリビングに入ると娘が正座をして「おかえりなさいお父さん」と深々と頭を垂れた。
娘は普段、わたしのことを「パパ」と呼ぶ。それに妻も変だ。
ふたりとも妙ににこにことしていて、心まで見透かされているような気分になる。
「智子」
そう呼ぶと妻が、なぁに? と返した。わたしは「いや、いい」と返事をして、用事を思いだしたといって再び外にでた。
エレベーターを下りながら汗でシャツを貼り付かせたわたしは、必死でこれが夢だと言い聞かせる。
妻の名前は「智子」ではなく「晴美」。わたしの名前は「雅治」ではなく、「雅人」だ

応募作17

河内磐船駅の廃病院」

最東対地

 交野市にある河内磐船駅を降りたロータリーに車を停め、おれは友人の田中がくるのを待っていた。
田中は中学時代からの友人で、会うのは随分と久しぶりだった。
仕事の都合で地方に引っ越して以来、十数年ぶりの再会。
その機会に恵まれたのは、大阪へ転勤になったからだ。おれが家族を連れておれは大阪に戻ってきた。
新しい家は寝屋川だったが、交野市まで車でいけばほんの20分ほど。久しぶりに飯でも、ということでおれは田中の仕事終わりをここで待っている。
ふと車の窓から見える古い廃病院。ひと気もなく、ひっそりと佇むそれを眺めながらおれは懐かしさにため息を吐いた。
窓をノックする音に助手席側を向くと、田中が歯をだして笑っている。悪友は老けたが笑顔はそのままだ。
「おお、ご無沙汰やんけ。元気してたんかお前」
ああ、と簡単に答える。助手席に座った田中に車で来たことを批難された。酒を飲まない名目は、早く切り上げたいというおれ自身の意思も込められていたから仕方がない。正直、盛り上がるかも疑問だったから自ら予防線を張ったわけだが、それも杞憂だった。思いがけず楽しい時間は、すぐに終わりを告げた。
「そういえばあの廃病院、まだあったんやな」
田中を送る車の中で河内磐船駅にあった廃病院を話題にだした。
すると田中は怪訝な顔をして「廃病院?」と首を傾げる。あの廃病院は、中学時代から心霊スポットとして肝試しには格好の場所だったからだ。
あれから数十年、未だにあるとは思っていなかった。
「廃病院ってなんや。あそこにあんのはいまコンビニやろ」
予想外の返答に思わず笑いながら、そんなはずはないと言い返した。田中は納得いかないと言った様子だったが、最後は笑って別れた。
ふぅ、と溜め息を吐き、それにしてもあいつは辺鄙なところに住んでるなと思いながら田中の家を見上げる。
――変わらないな、この病院も。